絵に描いたうんちと、VTuberが好かれることの本質

 今年のVTuberが行っていたライブ配信で、個人的に最も気に入ってる雑談のひとつを書き起こししてみたい。
 それはホロライブ5期生・桃鈴ねねと、そのママ(イラスト担当)である女性漫画家・西沢5㍉先生の対談配信だった。


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 ちなみにサムネ下側の西沢先生の頭の上に乗っている謎の生き物が、先生の飼い犬であるポメラニアンをモデルにしたマスコットキャラの「うんちーぬ」である。

(49分頃から、お互いの共通点はというトークテーマで)
ね「……うんちが好きなところ」
西「あっそうだね。(2人笑)あなんか、めっちゃねね、『うんぴ』って言ってるね」
ね「うん……? そんなめっちゃ言ってないよお、そんな~」
西「いや~言ってる~言ってるだろうが!(2人笑)知ってんだぞ!」
ね「いやなんか~そのなんだろな、なんか別に、うんぴっぴに関しては愛嬌?がない? なんか」
西「あいきょう」
ね「なんだろ。かわい……可愛げ? なんかリアルを想像するんじゃなくて、(お絵かきしつつ)コッチのほう?」
西「うん」
ね「かわいいほう……はなんかぁ~マスコット的なよさが……」
西「そうね」
ね「そう、あるよね?」
西「あるある。(お絵かきしつつ)鳥山明先生の発明だよ、コレは」
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ね「(笑)そう、ソレ。だって実際そんな……ねぇ? カタチの物はたぶんないけど」
西「(笑)まぁね」
ね「コレで、それが表現できる(お絵かき)」
西「腕生やされた(笑)、足も生やされたぁ(笑)」
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西「うんぴっぴが好きと言っても、コッチのうんぴっぴが好きだからね」
ね「そう、そうそうそうそう」
西「『マスコットうんぴっぴ』がね」
ね「そう! あの別に……」
西「あまりちょっと……誤解されて……(笑)、たまに誤解されて」
ね「うん……? ほんもんが好きだと思われてるの!?」
西「そうそうそうそう(笑)」
ね「ふええええっ!?」
西「ってゆう人が……。『あっ仲間ですか?』って感じで言われる時があって。(2人笑)『あ、ちがうちがう!』ってゆう。結構これは、カベが大きいよね、お互い(笑)。ちがう!ってゆう」
ね「ホンモノが好きな人が、『仲間ですか』って言ってくる場所、すごいな!(2人笑)その空間……」
西「ちょっとそこ、難しい、なんか……。ケモ耳とケモナー好きってカベがあるのと同じで。それと同じものを感じた」
ね「ああ~うんうん、確かに確かに」
西「全然違うから、ちょっと気を付けないといけない」
ね「そう、そうあの~、一本……いっぽんンンン(言葉を濁している)じゃなくて、この、可愛いらしく、デフォルメされたほうが可愛い」
(中略)
ね「(質問読みに戻って)あ、『素朴な疑問なのですが、うんちーぬはうんちなのでしょうか?』(2人笑)」
西「うんちーぬは、うんちプラス犬です! だからまぁ『うんちーぬ』」
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ね「イヌ……イヌ寄りなんだよね!?」
西「あっそうそう、イヌ寄り!」
ね「イヌ寄り、イヌ寄りです!」
西「カタチがうんちの犬。犬……犬です! だから臭くもないよ。……まぁ犬のくさいニオイはあるけど、うんちのニオイはしないっ」
ね「でも犬の『くさい』って、いいニオイだからね。香ばしい感じの」
西「そうそうそう、香ばしい」
ね「犬です! みなさん、お間違えなく(2人笑)」
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 「絵に描いたうんちを好きだと言っていたら本物のうんちが好きな人に仲間だと勘違いされた」という話が面白すぎて大好きなのだが、この話を思い出すたびにいつも自分が連想するのは、「葉公、龍を好む」という中国古典の故事だったりする(葉公は「しょうこう」と読む)。
 どんな内容かというと、加藤徹『漢文力』にある現代語訳を借りて読んでみよう。

 葉公子高は、竜を好んだ。鉤や鑿などの小道具に竜を描き、部屋の中のあらゆるところに竜の紋様を刻み込んだ。天上の本物の竜はこれを聞いて喜び、葉公のところにおりてきた。竜の頭はニューッと窓から中をのぞき、尾は外の建物に揺れているというほど大きかった。葉公はこれを見ると恐怖にかられて逃げ出した。身も心も消し飛んでしまうほどであった。葉公は、本物の竜を好んでいたわけではなかった。彼が好んだのは、実は、本物ではなくまがいものの竜にすぎなかった。

 要するに、「似て非ざるものを好むと見せかけ、現実に直面すると恐れおののく小心者」を言い表したエピソードなのだが……、頼んでもいないのに突然「本物」が親しげに出現するあたり、さきほどのうんちの話と通じる箇所が多いと感じないだろうか。


 ただしこの「葉公、龍を好む」という物語は、当然ながら実際にあった出来事ではなく、作り話にすぎないだろう。その文章自体は前漢時代の『新序』という書物に表れるが、そこでは孔子の弟子、つまり儒学者の立場から「為政者が反面教師とすべき小人物の例」として非難されるために葉公は登場させられている。また『論語』のなかでも、孔子と比べて愚かな(反・儒家思想的な)人物としての出番がいくつかある。
 漢文研究家の松尾善弘は、その政治的意図を見抜き、別の書物(『春秋左氏伝』や『荀子』)に記された葉公はむしろ立派で有能な指導者として立ち現れてくることを指摘している(「「葉公好龍」考」、『尊孔論と批孔論』収録)。


 もし仮に、実在した葉公が「儒家側からの一方的な風評被害(格下げ)を受けた無実の人」だとしたら?
 「現実を直視できない小人物」とは、むしろこの作り話を好み、実際の葉公には見向きもしない人々を指すことになるはずだ……、というのは皮肉でもある。

 先に参照した『漢文力』の加藤徹も、「葉公、龍を好む」を紹介した後に、こんな私見を加えている。

(前略)アニメやゲームなどの「バーチャルな」女性にのめりこむ男性ほど、本物の女性の前ではガチガチになってしまう。
 いわゆる「おたく」の男の子には、もっと自然に実在の女の子と交際してもらいたいものです。

 この文章を読んだ当時から、自分もオタクの一人として強い違和感があった(このエントリの読者の多くもそうだろう)。そもそも、「龍の本物」なんて実在しないじゃないか、と。
 例えば、「自然界には存在しない色」を染色剤や塗料に使っているからこそ美しいファッションやデザインだってある。そんな風に、自然にはありえない輪郭や色彩で表現されている(写実的な世界に「輪郭線」というものはない)のが龍だろう、と。

 それは例えば、「RedditやDiscordのアイコンの顔」の「本物」が何かなんて、特に考えなくてもいいのと同じくらいの話である。

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 西沢5㍉先生の話に戻すと、実は「美人漫画家」という取り上げられ方を経験されている女性でもある。


 初商業単行本発売時のインタビューで、「仕事の宣伝になるなら」という強かそうな発言をしていたこともあった。

顔出しするのはけっこう勇気がいりました。いろんなところでまとめられているので、あれこれ言われるのがつらいときはありますけど、宣伝になるときはしようかなあと思っています。
『私の初めて、キミにあげます。』西沢5ミリインタビュー | ダ・ヴィンチWeb


 ただし、この当時の自撮り写真のTweetは現在消されている。また、顔出し活動は限定的で(なくなったわけではない)、SNSYouTubeでは立ち絵イラストや被り物を使ったネタ動画が増えており、桃鈴ねねがデビューする少し前から、立ち絵の顔が動くVTuber風の配信もすでに行っていた。


 こうした女性のケースから学べるのは、「美人だろうと顔出しはけっこうしんどい」という現実の側面である。
 海外の女性にも目を向けてみよう。「顔出し女性配信者のVTuber化」というのは、去年頃から、主にTwitchの女性ストリーマーを中心にして取り沙汰されることが増えていた。

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 ちなみに英語では「Streamer(ストリーマー、日本でいうライブ配信者)」に「Streaming(ストリーミング、ライブ配信)」という単語が対応するように、「VTuber英語圏ではVStreamerでも通じる)」には「VTubing」という対応した言葉がある。

 これは「(Webcamではなく)VTuberの技術を用いた配信全般」を意味しているが、特に「顔出しストリーマーがVTuber風の配信活動に手を出すこと」に対して便利に使われる傾向もある。「VTuber」は「その人の主要な肩書き」を言い表すものだから呼ぶ対象が限定されてしまうが、「VTubing」は配信の見かけや技術を指しているだけだから、「VTubingを(も)やる人」などと呼ぶのは比較的自由であり、より便利だと言えよう。


 「Webcam」に対する「VTubing」をめぐる海外の議論では、「配信前にメイクなどの身だしなみに気を付ける必要がなくなるから」や「プライバシーを隠すため」などのメリットが理由に挙げられやすかった。
 よく下世話な好奇心から言われる、「ルックスに自信がないから」が特に理由に挙がらないのは、元から顔出ししている人気ストリーマーがVTubingに関心を抱くことが多いことからも否定されるだろう。


 ただ、西沢5㍉先生が顔出しだけでなくVTuber的な活動を好んで増やしているのは、そういう分かりやすいメリットの話だけではないという気がする。
 そこで「マスコットうんち」の話や、「葉公、龍を好む」の話を思い出せば、ようはオタクであるか、そうでないかという問題になってくる。
 実際、海外のVTuberコミュニティもオタクを中心に構成されているのだ。早い時期にVTubingに手を出した人気ストリーマーであるPokimaneも、「コミュニティに侵略したくない、参加するなら敬意を払いたい」と告げ、既存コミュニティに配慮することでVTubingから遠ざかっていた、というのもよい傍証のひとつだろう。
 つまり、彼女にしてみれば「メイクしないで済む等のメリット」が「オタク的な価値観」を上回ることはなかったということかもしれない。


 そのオタク的なメリットとは何か、を考えていくと、問題の「桃鈴ねね・西沢5㍉コラボ」と並んで今年のお気に入りになっているVTuberの配信がある。
 今勢いのある「VTuber箱」のひとつと言える深層組の、なまほしちゃん&息根とめるのコラボ配信なのだが。なまほしちゃんは病弱を理由とした生活保護受給者としてデビューし(※今月になって配信活動が順調なことから受給生活を脱出している)、息根とめると共に毒親からの虐待経験あり、ネット引き篭もりの陰キャで社会不適合者を自認(よく「社不」と自称している)しつつ、その体験を明るくネタとして話すことのできる気の合った仲でもある。


 つまり「人生や生活の生々しさ」を露骨に出してしまいがちなのが深層組の特色になっているが、2人とも虐待されて育てられた子どもに対して非常に同情的であるのは当然、特になまほしちゃんは3Dお披露目配信で生活保護の受給手段を丁寧に解説したりなど、単なる露悪癖では終わらせない、人としての懐の大きい配信者としても評価が高まっているところだ。

【脱生活保護】生活保護受給の表から裏まで全部解説【3D配信】


 個人的に「VTuberの“今”を見ているな」という一番の気分にさせてくれる深層組なのだが、そんな2人の会話から、好きな配信の部分を書き起こしてみよう。


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(1時間37分頃から)
な「う~、なまほしちゃんは程よく世界観を守りたい派なん……中立派なんだよぉ。リアルのガン出しと、そのまぁ世界観を守るのと、中立なんだよ。(中略)とめるちゃんは完全にガン出しだもんね、ガン出し」
と「ガン出し、ガン出しかぁ。えっ、でもさ、ガン出しでも思うんだけど、例えばさ。あの、実写で、どんだけ可愛い女でも。カメラ付けて、虫歯20本ぐらいあったー、とかさ。家賃を滞納してたー、とかさ。なんかとめるがよくやる、オムツ履いてそこでうんこしたー、とかさ、どんだけ可愛い女がやってもさ、ネタにすらなんねーじゃん、ガチで(2人笑)」
な「やっぱね、絵がやってるから、なんかね、その、許されてることっていうのはあるね、正直。なんか1個こう、2.5次元感、画面の向こうの別の生き物っていうフィルターを挟むことによって、配信者が救われてると思ってるでしょ、みんな? 違うよ? リスナーのみんなも救われてるから
と「(台パンしながら笑)名言来たな」
な「とめるちゃんが顔めちゃめちゃ可愛い、絶世の美少女だったとして、同じことやってたとしてみ? 受け止め切れるか? その全てを。本当に? 本当に全部受け止め切れるか? Win-Winなんだよ。絵が、とめるちゃんに絵が付いてるというのはね、お互いにとっていいことなんだよ
と「そうだよ、みんなのことを思ってとめるは絵かぶってんだからさー、よろしくねそこ。(2人笑)だからそういう意味でもそのなんか、コンテンツを何か、何かしらこう、何ていうの。どういう風にコンテンツをやっていくかって考えた時は、やっぱ絵っていうのはやっぱ実写にはないすげえ大きなメリットもあるなってめちゃくちゃ、日々思うね」


 この会話のなかに、VTuberVTuberであること、VTuberが人に求められることの本質が隠されていると、ネタだと思われるかもしれないが、自分は思う。
 息根とめるもこの会話に入る前に、身だしなみに関するメリットに触れてはいるのだが、VTubingは、「顔出しすることによるデメリット」を包み隠すための手段ではなくそれをすること自体に意味があるのだと否定できるだろう。


 これはVTuberの活動がうまくいくか、いかないか、あるいは既存コミュニティに求められるか求められないかの大きな基準でもあるし、よく分析しなければならない観点だ。


 ただ、最後に注意しておきたいのは、VTuber(VTubing)をコミュニティで支持することが、現実の人間や顔出しそのものを否定する方向に向かっても意味がない、ということでもある。
 端的に言ってしまえば、VTuberファンには生身に興味がないどころか、拒絶感を持つ人も多いと思う。だとしても、当事者であるVTuber本人らは「リアルのアイドルオタクが長じてバーチャルでアイドルを目指している」という風に、「リアルでの推し」と「二次元での推し」に大した差がないという子も珍しくない。そういう本人たちに似た性質のファンも少なくはないだろう。


 なぜ人には、顔出しをする場合と、そうでない場合があるのか? それぞれをどのように好む人たちがいるのか?
 それらをまずはっきりさせることが、互いがうまく共存するにも必要なことで、今後も否応なく共存していくと考えておいたほうがいいのだ。

  • 最後に西沢先生の愛犬の宣伝