ホロライブとbilibili、台湾についての理解を可能なかぎり書く

panora.tokyo

 バーチャルYouTuber事務所「ホロライブプロダクション」所属の赤井はあと、桐生ココが活動を復帰した10月19日から、一ヶ月が過ぎた。加えて、ホロライブCNの事実上の解散も先日報じられたばかりだ。

 その発端となった出来事に対して、VTuberに注目する人々の多くが無関心でなかっただろうし、全く無関係でいられた彼女たちのファンも少なかったろうと思う。

 

 ただ、自分がこの記事を書く動機は、外野も一部のファンもアンチも問わず、「知るつもりも調べるつもりもなく、ただ自分が気持ちよくなりたいだけの理由で問題を大きくすることに参加した人々」に感じる、言葉にしがたい残念さにある。

 

 複雑な政治的問題が絡むため「難しい話題」だということは承知していても、「難しい」というのは「知ることも調べることもできない」という意味ではない。

 無知と無学のために沈黙するならまだしも「自分が気持ちよくなるためだけに炎上に加わる」行為、平易で伝わりやすい言葉に言い換えるなら「安全圏からいっちょかみしたいだけ」の言動を正当化するものでは決してない。

 

 そんな彼らにとって上辺だけの正義がある、的を外した批判は誰に迷惑がかかるのかというと、ホロライブやその運営企業のCOVERではなく、騒動の渦中に巻き込まれた台湾のファンだったと思う。

 

 詳しくは順を追って後述するが、より冷静な台湾のファンは、中国のネチズン(ネット民)に政治利用されることを察知して炎上から遠ざかるという判断を行っていた。

 

 逆に、炎上を加熱させることで喜ばせたのは中国のネチズンである。台湾人ファンになりすまして日本人と台湾人を敵対させる戦術を取ろうとしていたことから分かるように、「台湾人は怒り狂っている」というネット上のイメージこそがむしろ必要だった。

 日本人は愛国的な工作を行うネチズンを「国家の犬」などと蔑むが、無知なままこの炎上にいっちょかみしていた日本人らは、向こうから見て「都合のいいコマ」にすぎなかったわけだ。

 

 ただ、彼らはそういう事実を知っても特に反省もせず、自分の言動を今から訂正したりもしないだろう。人間は好都合に忘れっぽさを発揮し、そう簡単に変わらないものだ。

 

 再度強調すると、「難しい問題である」ということは新しく調べる努力や、学ぼうとする意欲を否定するものではない。

 幸い、同じ漢字圏の出来事なだけあって、機械翻訳を頼りにインターネットで情報収集するだけでも、知識不足を補うことはできる。

 ただ、それに費やす時間を「めんどくさい」と思うかどうかにすぎない。

 「めんどくさいから自分が気持ちよくなれる炎上のお祭りだけを優先したい」「意に反して都合よく政治利用されようが気にしない」と本気で思っていられるかどうかだ。

 

 まずは知ろうとすることが優先されなければならないし、「安全圏で何も知る気がない人」は自分の発言の誤りを指摘されることすら拒んでいると言える。

 手探りでも調べてみるからこそ、「本当は理解できてないかも」という臆病さを得られるのだから。自分は誤った認識があるのなら、より正確な実態を知りたいと思う。

 

中国におけるbilibiliについて

 順を追って書こう。

 自分にとっては元々、「中国人オタクにおける日本オタク文化の受容」は関心のあるテーマだったので、中国のビリビリ動画(bilibili)も注目の対象だった。

 

 まず、当たり前の前提として、中国には我々と同じ人間が住んでおり、オタクがいる。

 bilibiliは中国最大級の動画プラットフォームとして、そのユーザー層も幅広いが、日本のニコニコ動画からの影響があからさまにあるだけでなく、「『とある科学の超電磁砲』の御坂美琴が好きだから」という理由でbilibiliを正式名称にしたほどにオタクな動画サイトだし、筆頭株主であるCEOのアカウントアイコンも俺妹のままだ。

 

forbesjapan.com

 規模が巨大化した今でもオタク的な空気を消し去っていないことは、二次元美少女を案内役にしたサイトデザインからも窺える。

(そこは、企業イメージからオタク臭さを抜こうとしているように映るニコニコ動画と対照的ですらある。もしニコ動が日本でbilibiliのような成功を得たとしたら、こういう二次元寄りの路線は選ばないんじゃないだろうか。)

 

 次に思うのは、中国という国における、bilibiliや日本好きオタクの立場の微妙さについて。

 日本にいても伝わってくる通り、中国は政府による国民への締め付けの厳しい国だが、10年ほど前と比べて不満分子への締め付けはより厳しくなっており、「ほどほどにガス抜きさせていた」と言える状況から「ガス抜きすら難しくなってきた」と言われるように激化している。

 

 例えばそんな環境で「グレーゾーンを渡っているな」と感じるのは、政府は同性愛の表現を容認していないにも関わらず、中国オタクはBLや百合がかなり好きらしいということだ。

 二次元での話ではないが、中国版の女性アイドルグループでも百合カップリングの需要が非常に(おそらく日本のアイドルオタクが求める以上に)高く、わざわざ公式カップリング(「官方CP」と呼ばれる)がシステムとして作られるほどだ。

 日本の48や坂道のグループはまぁここまでのことをしないと思う。

snh48.info


北京BEJ48 Team E ライチ(李梓)サンサン(蘇杉杉)組写真メイキング映像 20170414

 

 どう整合性を取っているのか、良くわからないのだが、「官方CPの撮影では男女役を演じさせているので異性愛を肯定している」(↑の動画を参照)とか、そもそも中国の女性同士は「本当に付き合わなければどれだけイチャイチャしててもOK」(↓のまとめ参照)とか色々な理由付けをしているのかもしれない。

 

 (主に女性同士の)VTuberがイチャイチャする様子を「てぇてぇ(尊い)」と表現する日本VTuber界のスラングも「貼貼(tietie)」と音写されてbilibiliでそのまま流行している。


【Gawr Gura】急著與華生貼貼的Gura【Vtuber中文翻譯】【HololiveEN】

  • ちなみに台湾のスラングでも「貼貼」でいいらしく、これはホロライブENのメンバーが英語の会話中に「てぇてぇ」と発言しているのを台湾人が繁体字字幕で「貼貼」と翻訳している、日本人が見ても分かる部分の少ないハイコンテクストな動画

 

 こういう状況から鑑みると、日本のVTuberがbilibiliのオタクから高い支持を集めていること自体が奇跡的に思えてくる。

 

 

 親日的な中国オタクにとってbilibiliは「数少ないガス抜きの場」であって、厳しい圧力をうまくすり抜けていく必要があると察せられる。

 また、日本のコンテンツによって、日本語を学ぶモチベーションを多くの中国人に与えているわけだが、それは彼らが「簡体字ではない外国のニュース」をより広く読んで知ることに繋がるのだし、サブカルへの関心から日本に留学してくる中国人も(大学に勤務する研究者仲間から聞いたり実際に知り合ったりで)珍しくない。

 中国政府も経済的な国外進出をしている以上、自国民の視野を完全に閉ざしているわけではない。

 

 そのなかでVTuberが大きな位置を占めるようになっていたのだが、「チャイナマネーとチャイナリスク」といった言葉で単純化させて、文化の窓口を開いていた事実に意味がなかったとも思えない。

 それは中国のオタク達のためでもあるし、大局的には(金銭的価値に還元できない)日本のためでもあるだろう。

 

bilibiliとホロライブの関係

 次に、bilibiliで起きた問題の発端へと進もうと思うが、実に様々な要因が重なった事件であることは間違いない。

 

 前兆として、中国の字幕翻訳組とホロライブ運営の関係が良好ではなかったこと。その彼らへの見返りとしてホロライブメンバーによる「bilibili限定配信」が求められていたが、それに積極的なメンバーは個人差が激しいことから不満が蓄積していた……と、事件前から指摘されていた。

 この問題を放置し、改善に向けるコストを払えなかったのは確かに運営の落ち度だった。

 

 さらに外部的な要因となるが、岸嶺ミミム氏(台湾と北京の滞在経験があり、現在は日中間でコンテンツビジネスを行う日本人)がこの事件に触れたライブ動画も補助線にすると、当時は10月1日の国慶節(中国の建国記念日)に向けて中国ネチズンの緊張感が非常に高まっていたことが注目される。

 

 そこに、限定配信に積極的でなかったメンバーとして桐生ココが悪目立ちしており、彼女がアメリカ出身者と目されていることも重なったようだ。

 桐生ココと類似の過失を先に起こした赤井はあとがほとんど攻撃の対象とならなかったのは、彼女が「オーストラリアに留学中の日本人」にすぎないことと関係している。

 逆に、桐生ココの言動は反中的な政治的心理を常に裏読みされ続ける(=「挑発」と見なされる)ことで、謝罪後も攻撃が終わらなくなった。

 そこには、彼女が実際にbilibiliの活動を避けつづけていた事実だけでなく、コロナ禍におけるトランプ政権の姿勢や、様々なチャイナリスクの高まりによって生じた米中対立の深刻化が強く結びついていたかもしれない。

 

 この対立はもはや「桐生ココ本人の心中」を蚊帳の外にして進み、過激さを増していったのは中国ネチズンだけではなかったのだ。

 むしろ、アメリカのホロライブファン内部に反中心理そのものが存在しているのも事実なので、互いに向け合う憎悪や、ネットバトルへの扇動のされやすさは似たりよったりのレベルにすら思えてくる。

(この点、あいだに挟まれているはずの日本オタクは政治的緊張に無関心な、あくまで安全圏にいたいタイプが多くてまだマシと言えたのかもしれない。だが、まぁ「ケンカには参加しないが止めもせず対立を煽っていたクラスメイト」みたいなものだった。)

 

 この問題の性質を属人化させるようなことはあまりしたくないのだが、実際のところ「桐生ココと関わった(関係を切らない)メンバー」から順にbilibiliの翻訳組が解体され、ホロライブというグループというよりも「桐生ココを切らないホロライブ」が中国ネチズンから拒絶されている状況に今は落ち着いている。

 

 現地翻訳組と運営の信頼関係、国慶節のタイミング、桐生ココのbilibili軽視と彼女のバックボーン、そして米中対立と、これらの要素が全て重なった上での深刻化であって、どれかひとつの要素が欠けていても結果は変わっていただろう。それも外部的な要因のほうが決定的に影響していたと思える。

 

 bilibiliに話を戻すと、まずホロライブは去年の1月からbilibiliと提携を開始し、YouTubeの生配信をbilibiliで中継するようになっていた。

prtimes.jp

 再びミミム氏の動画やこちらの記事を参照すると、この中継配信の責任を持つのは、ホロライブではなくプラットフォームであるbilibiliの側なのだという。

 ホロライブメンバーのチャンネルをBANしたのも、bilibili自体が政府に目を付けられないようにするため、となる。

 

 加えて、これまでもbilibiliは様々な圧力を政府から受けていたようだが、bilibiliのコンテンツ内容は日本人が安直にイメージするような「検閲」を受けているわけではない。

 あくまで「体制を忖度した自主規制」であって、政府も検閲にコストをかけるより企業が勝手に自主規制してくれるような方向性を進めている。

 

 その自主規制の完成形が、おそらく「社内で党組織を活動させること」なのだろう。 

 2016年6月に開園した上海ディズニーリゾート広報副代表マレー・キング氏は現地紙のインタビューで、「最高のキャスト(従業員)」は共産党員であり、定期的に政治セミナーを開催し、党の講習を受けているからだと述べた。

〈中略〉

 中国でビジネスを展開する外資系企業はすでに、オフィス内に党組織を設立するよう党に圧力をかけられている。「約70%は既に要求を受け入れている」と、党人事を管理する中国共産党織部・斎玉副部長は最近、国営メディアに述べた。

ミッキーマウスも中共仕様に?共産党の「紅色観光」(2017年11月04日)

  今年になって、エンターテイメント業界におけるチャイナリスクを痛感させたのがウォルト・ディズニー・スタジオの実写版『ムーラン』だったが、ディズニーランドの中国進出に関してならすでに不安の種を含んでいたようだ。

toyokeizai.net

  また、次の記事では「社内で党の活動を認めるよう圧力が掛けられるのは完全な外資企業よりも中国の民間企業や中国と外国資本が設立した合弁企業の方である」と書かれている。

 【上海】上海ディズニーランドで働く約300人の共産党党員は、その政治思想を隠すことなく勤務している。多くは勤務時間内に党の講演に出席し、デスクには共産党のシンボルである「鎌と槌」の記章を飾る。社内報や国営メディアは彼らを模範的な労働者として称賛。党職員がスタッフの福利厚生を補助し、全従業員向けの政治セミナーや歌唱大会などの準備もする。

 最も優秀な従業員は、そのほとんどが共産党員――。上海最大の共産党機関紙は今年6月、上海ディズニーランドで広報部門のバイス・プレジデントを務めるカナダ出身のマレー・キング氏がそう述べたと報じた。ディズニーの広報担当者によれば、キング氏は何名かの従業員が共産党に所属しているものの、企業としてそれを必要条件にしていないと述べただけだった。

〈中略〉

 在中国の欧州商工会議所のマッツ・ハーボーン代表は、社内で党の活動を認めるよう圧力が掛けられるのは完全な外資企業よりも中国の民間企業や中国と外国資本が設立した合弁企業の方であると話す。

中国の外国企業、新たなパートナーは「共産党」 - WSJ(2017年10月30日)

 では、bilibiliの社内はどうか? というとそこまでは知らないが、今までも様々な圧力を受け続けてきたのがbilibiliなのだとしたら、その実態は「圧力を受け入れ終わった」のではなく「逃れ続けてきた」のではないかと思うのは好意的に見すぎだろうか。

 

 bilibiliのライブ配信はbilibiliに責任が生じるという話に続けてミミム氏は、中国語によるCOVER社の謝罪声明はbilibiliが用意してハンコを押させただけの文面だろう、と強く言い切っている(日本の企業が書くような内容としては「ありえない」と)。

3.公式声明の作成にあたっては、中国現地の協力会社とも慎重に検討した結果、タレントや社員らの安全と活動を守るため、中国向けの声明に関しては、問題となった発言に対し強く言及する声明を出さなければ解決が難しいという指摘を受けた。

カバー、「ホロライブ」赤井はあと・桐生ココ自粛措置の経緯を説明 谷郷社長は役員報酬の一部を自主返納 | PANORA(2020年9月30日)

 そのbilibiliからの要請を呑むかどうか、は日本企業の判断するところであるが、自社現地スタッフや、ホロライブ日本/CNメンバーの安全だけに留まらず、bilibiliの経営にすら影響するかもしれない(他の日本人VTuberが今も普通に活動を続けているbilibiliの、だ)。

 

 どちらかと言えば、「中国を取った」というより提携企業としてbilibiliを共に守ったと解釈したほうがここはしっくり来る。

(余談ながら、ミミム氏の意見では「bilibiliを蹴る選択をしたっていい」という考えからこの判断に不服もあったようだが。)

  なお、ホロライブにかぎらず、アカウント登録してbilibiliで活動する日本人は、額面上は誰でも「中国の主権を守ること」にハンコを押しているのと同様である点にも留意されたい。

 ユーザー規約を破ったのだからプラットフォームの用意した謝罪に従わなければならない、ということ自体はルールとして正当ではある。

 

他の企業が行ってきた謝罪声明

 問題となった謝罪内容についても振り返ってみよう。

 要するに、そこで日本企業として行った主張が「タレントやスタッフや協力会社を守るという目的」と釣り合うものだったか、それ以上の一線を越えていなかったのかという問いになるだろう。

 

 しかし何より、今回のような主権問題から来る謝罪声明は世界的に珍しくない、ということはあまり知られていない。

www.wwdjapan.com

 2019年8月11日、イタリアのファッションブランド「ヴェルサーチ」は香港とマカオの表記を発端に中国語英語で謝罪。

 その翌日、アメリカのファッション企業「コーチ」、フランスのファッションブランド「ジバンシィ」も香港や台湾(台北)の表記を理由に中国語で謝罪(コーチジバンシィ)。

 

 この三者では特にジバンシィが強めの謝罪となっており、「一貫して中国の主権を尊重し、一個中国の原則を堅く支持することを揺るがさない」という文面が表れている。

 

 そして日本企業では、コーチやジバンシィと同じ日、神戸に本社のあるスポーツ用品メーカー「アシックス」の中国法人がやはり香港と台湾の表記を理由に「一つの中国原則を支持する」という声明を出した。

アシックスは、公式ウェイボーに謝罪文を掲載。「アシックス中国と全従業員は終始一貫、祖国の領土保全を断固として守り、一つの中国原則を支持し、香港・台湾が中国の領土の不可分の一部であることを支持する」と表明した。

www.recordchina.co.jp

 別々の企業がこれだけ近い時期に声明を連続させたというのは、それだけネチズンの「発掘」行為のようなものが組織的に集中して行われていた時期だったのだろうかと思う。
 こうした事件は2018年にも存在し、エア・カナダ、米デルタ航空、ギャップなどの大手企業が告発され、表記変更や謝罪に屈している。

www.cnn.co.jp

 

 こうした世界企業の対応は、当然ながら台湾の外交部からの批判も浴びたが、日本の企業の場合はどうだったか。

 

「建前と本音」への解釈に表れる国際感覚

 アシックスの声明については、日本の保守系チャンネルで台湾独立派寄りの情報発信を行っている番組アーカイブを参考にしてみたい。


【拡散願】アシックス(asics)が公式通販サイトにて「台湾」表記を「中国台湾地区」へ書き換え!訂正を求めよう!2019.8.25

 

 日本の保守系で反中、かつ台湾独立派、という点では政治的に偏ったポジションを持つ批判であるが、まず中国法人の発した声明であること、その職員らが晒される恐怖を考慮して「やむをえない」と同情的に言い切っている(3分28~45秒あたり)。

 

 だがその後、アシックスが日本国内の公式サイトで中国の圧力に屈した表記変更を行ったことについては「本当に許しがたい」と強く批判している(5分30秒)。この公式サイトの表記は現在も変わらないままだ。

 

 ここでそろそろ、最初に触れた「知るつもりも調べるつもりもなく、ただ自分が気持ちよくなりたいだけの理由で問題を大きくすることに参加した人々」の無責任さ、に繋がっていく。

 

 COVER社が中国語と日本語でそれぞれ出した異なる声明について、日本では二枚舌を使い分けていることそのものが炎上の対象となっていた(英語圏でもそうだったかもしれない)。

 しかし保守系で独立派の番組ですら、「一個中国の原則支持」の声明を中国向けに出すことは「やむをえない」と認め、それ以外の部分で突っ張れなかったことを強く非難している。

 

 つまり「二枚舌すら満足に使い分けられないこと」が国際企業の在り方として酷評されているのであって、日本のオタクの反応とは真逆の政治感覚なのだ。

 

 もちろん「建前」の部分にしこりは残すだろうが、「本音」さえ台湾に伝われば板挟みから脱却できた前例ならすでにある。

JALANAの日系2社が取った「台湾」表記問題への対応は、海外の他社とは異質なものだった。表記方法について、最後まで試行錯誤を繰り返したのである。

JALとANA、「台湾表記」問題で見せた強い意地 | エアライン・航空機 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 先述した2018年の、米デルタ航空などの大手航空会社が屈したのと同じ中国の圧力に対し、JALANAが示した態度こそがそうだった(この記事はよく読んでみてほしい)。

 

 しかし台湾人にしてみれば、まず台湾の企業からしてジレンマを抱えたビジネスを続けてきた自覚があり、他国の企業が二枚舌を使い分けることにも慣れてしまっている。

 もちろんCOVERは、所属タレントの安全のために3週間の謹慎期間を与えた以外、「桐生ココを切る」という圧力にも一切屈せず、今もネチズンの攻撃には抗っている。

 

 本当に求められるのは、行動で本音を示していくことであって、本音と建前を一致させよというのは日本人の自己満足的な美徳にすぎない。本当は国の外の利害なんて一切考えてなどいないのが、それを言う人だ。

 その上、「二枚舌外交批判」に世論を導くことで、中国ネチズンの攻撃のお膳立てを丁寧に手伝っていたのだ。 

  結果として、前例を踏まえつつ強めの声明を出したCOVER社は、おそらく中国政府にしてみれば問題とならずに済んだだろうと思われた。本来の道理であれば。

 

 先のファッション企業なども、アンバサダー提携していたタレントから契約を解除されるなどの仕打ちを受けつつ、その後はしっかり営業を続けられている。

 スジを通し、譲歩姿勢を見せた上でも中国ネチズンが攻撃の手を止めなかったというのは、彼らの「暴走」とみなして構わないように思える。また、スジから外れたその圧力にまでCOVERが屈する道理もない。

 

 台湾の抱える矛盾とその超克について

 ただ、「建前」の部分であろうと、「一個中国の原則支持」という日本企業の声明はしこりは残すだろう、とも書いた。

 最後にその点についても、具体的にどんな問題や歴史があるのかを理解したい。

 

 まず炎上の初期に目立った批判として、「一つの中国政策」と「一つの中国原則」は違い、後者は一企業が支持していい概念ではない、というものがあった。

 確かに、そのふたつは厳密には異なる言葉だ。次の記事を読んでみてほしい。

中国側は「一つの中国原則」が世界中で受け入れられているという演出をしたいので誤った記事・解説に訂正を求めないし,米の「政策」は中国の「原則」と同じという誤認が広まることは好都合である。一部の台湾メディアにも,このような傾向が見られる。他方,米側は「二枚舌外交」と言われることを警戒し,あえて「政策」と「原則」の違いを強調しない傾向がある。

「一つの中国原則」と「一つの中国政策」の違い

  一般に混同されやすいことから、意図的に放置されやすいフレーズでもあって、それは今まで挙げてきた大企業が「一個中国の原則支持」を中国向けに表明しつつ、国際的には沈静化されてきた経緯にも表れている。

 もちろん、そうしたニュースがある度に台湾を始めとしたメディアが取り上げ、世界へアピールしなければならないのだろうが、逆に言えばそれ以上の問題には発展してこなかった。

 

 一方、その「しょせんは政府でも何でもない、一企業の建前なのだ」という面従腹背が透けて見える「本音」の部分に我慢しきれなくなったのが、2年前から各種の告発を続けてきた中国ネチズンの側だったのかもしれない。

 前例にならえば(bilibiliとCOVERがおそらく期待していたように)中国政府に目を付けられることなく、損失はありつつも沈静化を目指せていたかもしれなかったが、ネチズン側の論理では「建前さえ許さない」という流れが完全に出来上がったため、ホロライブプロダクションは中国市場から距離を取らされた。

 

 余談ながら、忘れてはいけない点として、現在の中国も建前と本音の国だ。

 相互監視的な社会における同調圧力が非常に高く、違った意見を持っていたとしても絶対に言うことはないし、思ってもいないことでも周囲に合わせて発言しておかなければ後でどう責められるかも分からない。そういう国に住むファンがいることを想像してみないといけない。

 実際の状況はよく分からないのだが、翻訳組が解散したとされるホロライブメンバーでもどこからともなく簡体字の字幕動画(向こうの用語で言う「熟肉」動画)が非公式に投稿され、再生すると普通にファンが好意的なコメントを入れていたりする。

 単純とは言えない不思議な場だ。

 

 他には、ホロライブが撤退を進めるのと並行し、bilibiliを始めとしたコラボ関係のあった中国企業も距離を取らざるをえなくなっているが、マーベラス(中国テンセントの子会社と提携している)の音楽ゲームWACCA』や、中国企業グループの傘下にある「ジョイポリス」とのコラボに支障は発生していないのは興味深いところである。

 

 決して単純ではないのだ。

 

 一個中国の解釈に話を戻すと、炎上の初期には「主要株主に台湾企業のHTCがあるんだが、中国を取って出資者を敵に回したのはバカでは?」といった揶揄も行われていた。

 だがこれも問題となる可能性はないと考えられる。

 なにせ、そのHTCを率いる王雪紅その人(ちょうど今年の9月、CEOに再就任した)こそが親中派の台湾経済人を象徴しているからだ。


newcongress.tw

 この王雪紅の立ち位置を軸に、台湾問題を考えていくと少し理解がたやすくなる。

 

 今の台湾の総統は、コロナ対策関係で日本のメディアでもよく登場している蔡英文だが、その民進党政権に対し、前政権は馬英九の国民党だった。

 前々回(2012年)の総統選で蔡英文馬英九に敗れた時、王雪紅は国民党側に立っている。

「『92年コンセンサス』がない両岸(中台)関係は想像できない」。台湾の電機大手、宏達国際電子(HTC)の王雪紅董事長は13日に記者会見を開き、こう語った。

台湾総統選、経営者の国民党支持は本心か :日本経済新聞(2012月1月30)

 そのため、台湾メディアでは蔡英文とHTCの関係は険悪なのでは、という見方もされていたようだ。

www.peoplenews.tw

  • HTC製品を友好国へのプレゼントに選んだ蔡英文に対し、「王雪紅との雪解けか?」と憶測した記事

 

 さて、王雪紅の言う「92年コンセンサス(九二共識)」とは何か。

 中国側と「一個中国」問題について得られたという合意を指した言葉で、その合意の存在自体があやふやなのだが馬英九がこれを肯定、蔡英文が拒否という立場で対立している。

 

 元々、大陸本土での内戦に敗れて「中華民国」の政府を台湾に移転させた歴史のある国民党は、思想的に「台湾と本土を含めて一個の国であり自分たちの政府に主権がある」という原理を重視している点では中国と変わらない。

 しかし長期的に考えて統一というのは困難なため、現状維持のロジックとして「一個中国の原則」をお互い(=両岸)に堅持しつつ、その解釈は別々に表明してよい、というダイナミックな建前の使い分けを合意した、というのが九二共識だ。

 

 「一個中国を各自に表明」を略して「一中各表」とも要約されるが、生憎なことに中国側は「各表」の部分を認めず、中国のみに主権があるとする「一中原則」を押し通し続けている。

 つまり、一中各表は「台湾でしか役に立たない建前」であって、中国とビジネスを行いたい台湾企業は結局、「一中各表と言いつつ本土では一中原則を支持している」という二枚舌を用いる必要がある。

 

 台湾が経済的に中国市場に依存している以上、国民党はこの二枚舌外交を必要悪として保持しつつ、その上で「台湾と本土を含めて中華民国」という国家アイデンティティを守りたい、という考え方になるはずだ。

 こうしたロジックに基づけば、王雪紅が「私は中国人」「HTCは中国人によって設立された」など、本土にすり寄った発言を繰り返したことも矛盾はしていない(中華民国国民=中国人なので)。

 だが、中国ネチズンによる告発が増加していた2018年は蔡英文が総統となって2年目だったが、台湾のカフェチェーン大手「85度C」が九二共識に基づいた謝罪を中国に向けて行っている。

 こうした状況を受けて85度Cは、「『92共識』を強く支持し、両岸(中台)同胞の気持ちを分け隔てるいかなる行為と言論にも反対する。『両岸一家親(中台は一つの家族)』の信念で、海峡両岸の消費者に優れた製品とサービスを提供する」との声明を公式ホームページなどに掲載。

85度Cが「一つの中国」支持表明、蔡総統訪問でボイコット騒ぎ - ワイズコンサルティング@台湾 (2018年8月16日)

  この頃にはすでに、九二共識のロジックを用いるのは「一中原則」を支持しているのと変わらない、おためごかしだ、といった認識が台湾人にとって当たり前になってきている様子が伝わってくる。

news.ltn.com.tw

 それでも中国との経済関係がいきなり無くなるわけではない。

 外需依存度の低かった日本人にはピンと来にくいかもしれないが、どうも「別のクラスの友達と仲が悪くなったらその友達のグループ全員と会うのをやめればいい」くらいのノリを経済感覚にも持ち込んで語るような人が多い気もする。

 

 台湾政府は「経済自立を目指して努力している」最中なのであって、脱中国が可能になったわけではない。

 蔡英文の政策も、形としては「現状維持」を基礎としている。

 国民党のような「一中原則」への擦り寄り姿勢は、香港と同じく「一国二制度」の受け入れに繋がるとして拒んでいるが、その対極である独立派かというと、それとも路線が違う。

台湾は正式名称を「中華民国」としているが、李氏は住民投票にかけた上で名称を台湾に変更、台湾名で国連に加盟を申請しようと訴えた。

「台湾に国名変更を」 李元総統、住民投票訴え :日本経済新聞(2018年2月28日)

  独立派を象徴するのが「台湾を正式国名に」という政治活動だが、これに蔡総統が応えたのが中華民国台湾」というアクロバットだった。

統一か独立か、もしくは「中華民国」か「台湾」かの間で揺れ動いてきた台湾政治。蔡英文総統は「中華民国台湾」という言葉でその2択を超え、有権者の支持を勝ち取った。専門家は、蔡総統が「中華民国としての体制」と「台湾アイデンティティー」を融合させることで台湾政治の形を変えたとの見方を示している。

蔡総統掲げる「中華民国台湾」 独立か統一、2択を超越 | 両岸 | 中央社フォーカス台湾(2020年5月21日)

  蔡総統の掲げるロジックは、ある意味で「一中各表」以上にダイナミックであり、言ってることは結構無茶苦茶なんじゃないか、と驚かされる部分もある。

wedge.ismedia.jp

 蔡英文は今年の1月、中華民国総統に再選された直後のインタビューで「我々はすでに独立している」と語り、日本でも「そう言うのだから台湾は正当に国なのだ」と楽観的に解釈することが独り歩きしている気もするが、蔡総統の政治姿勢を振り返ってみると微妙なニュアンスの差がある。

 

 台湾の思想は、「一中各表」の延長で国土統一を最終目標とする統一派、「中国と台湾は別の国」「中国ではなく台湾国」を目指す独立派に大きく別れていたとすれば、若者が中心となって「目指すまでもなく自然に独立している」という素朴な感覚を持つことを「天然独」と呼ぶ。

 

 国民党のように大陸から移動した政党ではなく、初めて台湾内で組織された政党である民進党はこの天然独の考え方によって支持を集めた。

 蔡英文の再選が実現した今となっては、この天然独こそが新しい「台湾人のコンセンサス(共識)」なのだと主張するのだが、先述した「85度C」の一件で「92共識無用」という声が強く挙がっていたことも天然独がマジョリティの総意となった表れなのだろう。

 

 ただ、冷静に考えてみてほしいが、「自然に独立している」「現状維持」というのは、「建前上は国として扱われないままでも問題ない」という考え方である。

 独立派の活動から距離を置いているというのは、そのためだ。

 

 これをバーチャルYouTuberの説明に喩えて伝わるかは微妙だが、要するに「表向きは実在しなくても、実質的に存在していればいい」という、VTuberの実在感と似たような話なのだ。

 

 そもそも、民進党が「中国と台湾は別の国」という理念を示すことはできても、「中華民国政府が本土の主権を有している」という、政府の根本まで変えているわけではない。逆に、独立派はその根本に手を付けろと抗議しているのだから。

 中華民国としての主権も手放さず、台湾国という「中国とは別の国」を目指すわけではない、そうした矛盾を全部ひっくるめた上で「中華民国・台湾」はすでに独立した天然独である、と言っているのだ。本当の意味で独立するチャンスが訪れるまで。

 

 個人的には、ものすごい問題解決の仕方だな、とちょっと言葉にできないほど感服させられている。架空の歴史小説であっても、ここまでロジックを超えた(それでいて「それが一番の納得を得られる答えなのだろう」と感じられる)政治劇はなかなか見ないと思うくらいには。

 

最後までこの記事を読む人に向けて

 VTuberの記事なのに、いつまで長々と政治の話ばかり続ける気だ」と言いたい人も多いと思う。

 もしあなたがホロライブの炎上に加担していた人間だとすればはっきりと言い返せるが、この程度のことを自力で調べるスキルも根気もないなら、そもそもオタクのお祭り程度の気分で政治の問題に口を挟むべきではなかったと思う。理解する気がないなら黙っていたほうがマシだった。

 自己満足にすぎない批判も肯定もせず、ただ成り行きを見ているだけでよかった。ホロライブのファンなら、メンバーの復帰を待ちながら他の配信を楽しんでいればよかったろう。

 

 逆に、辛い思いをする人を少しでも減らしたいと考えられる人は、この機会に理解の幅を広げてほしいと思う。

 

 最後に、こうした情報収集を行っている時に、自分が最も心を打たれたのは、とある台湾人ホロライブファンがTwitterで同胞に向けて中国語で発したメッセージだった。

 一人のファンにすぎないので直接ここに出す意思はないが、その時に自分が要約したテキスト(のリライト版)と、証拠として元Tweetへ誘導した人が原文を読んだ感想を添えておきたい。

全ての台湾のホロ関係フォロワーへ

冷静になってください。挑発的なリプライを無視できず、争いを大きくしてしまえば、それは台湾人の印象を台無しにするだけです。特にホロメンについての話を台湾問題へすり替えようとする言葉には乗らないで。中国を罵って怒りを発散しても、何の役にも立ちません。

台湾が独立したいのであれば、それは台湾の人々の経済・政治・外交の努力次第であり、日本の企業やタレントの立場は関係ありません。

ファンとして注意が必要なのは、メンバーの無事と配信に対する運営の方針くらいです。怒りに惑わされないでください。

 

 

 

 本当に尊敬できる人というのは、このように自分にできる範囲で最も必要なことを誠実に行える人だと思う。

 

 充分な被害者であったはずの台湾のファンが自分たちの感情を制御しようとしていた一方、日本人や英語圏の人々はほとんど台湾そのものに無関心で、無責任に扇動を行いつづけていた。

 

 しかしもう過ぎたことより、これからのことを考えるべきだろう。

 正直なところ、自分のこの程度の理解では、何が正しいのかも本当には判断できないし、安易な支持もできないと思っている。

  我々、一般の日本人の立場でできることは「知っています、見ています、学んでいます」という態度を地道に続けることでしかないと思う。

 無知なまま火種を大きくし、一時の感情をぶつける気持ちよさに身を任せることではない。

 

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  • ここにもまた、責任を背負おうとしない炎上が自分たちの味方や、本来守りたいものを背後から死地に叩き込むことになる、という悲劇がある(11月21日追記)