「アニメ」と『バーチャルさんはみている』と『四月一日さん家の』

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 今回の記事は元々、VTuberドラマ四月一日さん家の』の情報発表前から考えていた話だったが、ちょうど問題にピッタリ合うニュースだったので一緒に考えてみたいと思う。
 例によって脱線しながら書くので、そこには文句を言わずに読んでほしい。



 さて、ドワンゴ製作のTVアニメ『バーチャルさんはみている』は、否応無しに「アニメとは何か?」という問いを視聴者に突きつける企画である。

virtualsan-looking.jp


 いや、言い方を変えよう。
 個人的には解答に迷うような問題ではないのだが、それはアニメーションの歴史とバーチャルYouTuberの歴史を照らし合わせて導き出せる答えでもある。
 だから、普通そのような照合を行わないような人からすると、ただただ「アニメ」概念についての混乱を誘うようなコンテンツになっている、と言ったほうが自然だろう。

直観的に行われる「アニメではない動画」への判断

 まず第一に、私たち日本人……そのなかでも「オタク」もしくは「アニメオタク」を自覚しているような人でも、「何がアニメなのか」という判断はかなり雰囲気で行っている。

 それは半年前に書いた「バーチャルYouTuberっぽさ」の中心と辺縁についてという記事での問題にも通じるだろう。

 象徴的な「◯◯っぽさ」の中心があり、その周囲に辺縁の広がりがあり、さらにそこから外れるものがある。そうした枠組みで捉えることが、とりあえず有効に働いている。
izumino.hatenablog.com


 つまり、私たちが「アニメ」という言葉を使う時、そこにはイメージとしての「中心」が無意識に設定されており、そこから外れていくごとに「っぽさ」が減少していくという捉え方をしているのだ。
 その「中心」を作っているのが、主に30分の枠で放送されるTVアニメ番組であり、映画館で上映される劇場アニメだろう。

 この2つは、アニメの内容以上にコンテンツの「枠」こそが重視されている。メディアの「形式」だけでなく、消費される「形態」こそが「アニメというイメージの中心」を成り立たせていると言っていいだろう。
 だからこの2つの周辺に、「形態は違っていても形式は同一に近い」という理由で、TVアニメのWeb配信や、(今では珍しい存在だが)OVA、自主制作のショートムービーなども「アニメ」として認識される。

 そこで意識される「メディアの形式」も限定的な「中心」があり、上記の作品群ではセル画制作が長く主流であり続けたため、今でもセルアニメ「セル画風のデジタル彩色アニメ」が「アニメ」と聞いて一番に思い浮かべるイメージとなっている。

 こうした「中心としてのアニメ観」には大体の同意を得られると考えるが、改めて視野を広げた時に他の使い方も一般的に存在している。
 例えば「人形アニメ」や「クレイアニメ」、そしてセル画ではない絵画を撮影したアーティスティックな作品もアニメと呼ぶことができる。

 大雑把に言って、現在「アニメ」は以下の三通りくらいの意味があると思っていいだろう。

  1. 上記の「中心的なアニメ」を指した言葉
  2. 「アニメーション」全般の略語
  3. 日本を海外から見た外来語としての「ANIME」

 3つ目の「ANIME」は「日本における中心的なアニメを指す」という意味で、1つ目と近いようだが、欧米などのアニメ作品を含まないことが多い。
 例えば、日本人からすると「ジブリアニメ(ジブリ映画)」と「ディズニーアニメ」は絵柄や作風が異なるだけで、形式・形態的に決定的な差があるとは考えないため「アニメ」と一括りにジャンル分けされやすい。

 こういう背景から「3DCGのデジタルアニメーション」が新たに生まれる。そこでピクサーやディズニーによる海外作品なども、形態的に従来のディズニー映画と同じように捉えられて「アニメ」と自然に呼ばれている。
 日本の3DCGは比較的、「セルルック」というセル画風の作画に似せた映像が多く、より「中心的なアニメ」に近寄せていることになる。

 そして日本語の「アニメ」はアニメーション全般の単なる略語でもあり、「アニメーション技術」が用いられていればアニメだろう、と安直に考えることもできる。
 CGアニメの技術は英語で「Computer animation」とも呼ばれるが、では3DCGを使ったビデオゲームは「アニメ」なのだろうか?

 おそらく、大作ビデオゲームのオープニングや幕間で再生される「ムービーシーン」は、セル画風でも3DCGでも、「アニメなのか」と聞かれると「アニメでいいんじゃないかな」と答えられるだろう。
 メディアの形態はTV番組でも映画でもないが、形式や技術はほぼ同じだからだ。

 それでは、3DCGで動くゲームのプレイ画面は「アニメ」だろうか? おそらく、多くの人が返答に詰まるか、否定するはずだ。
 ゲームのプレイ画面には、例えば体力ゲージなどのUIが表示されているからアニメっぽくない、と理屈を言えるかもしれない。しかしPS2ICOのように、操作中の画面にUIが表示されないゲームだって成立するのだ。


ICO プロモーションビデオ


【実況】 あなたのこの手は離さない part1 【ICO.HDver】


 このプレイ画面や、実況動画などを見て「アニメか?」というと「アニメっぽくない」と私たちは感じる。
 どうやら、プレイヤーが操作して介入できる作品は「ゲーム」であり「アニメ」ではないらしい。

 しかし、なぜアニメだと思わないのかの説明は難しい。言ってしまえば、3DCGのムービー制作も数値入力やモーションキャプチャー技術などを介して「3Dモデルを操作している」と言えるからだ。
 するとプレイ動画は「リアルタイムで操作している」から、ムービー制作と異なるのだろうか?

 逆に、3Dゲーム内の映像を編集することで別の映像作品を作り出す、マシニマ(Machinima)」と呼ばれるジャンルが海外にはある。
 日本で言うとゲーム作品のMAD動画に近いジャンルだが、マシニマはゲーム内のカメラアングル変更機能なども活用することで、「ゲーム内の操作」が「ムービー制作における操作」と近いものになる。
 そうして作られた映像は、一見して、普通の3DCGムービーと変わらないものになり、再び「アニメ」と呼ばれやすい作品に変わる。

 また、CGのモーションパターンそのものを「アニメーション」と呼ぶこともある。
 そのように、部分的な技術を指して「アニメ」と呼ぶことと、パッケージされたひとつの作品を「アニメ」と呼ぶことの両方があり、今は感覚的に使い分けられているようだ。

リアルタイムアニメーションとVTuber動画

 VTuberVRの技術は、元を辿ると3DCGゲームの開発技術と共に発達してきた面がある。
 特に「Unity」というゲームエンジンは、初期のVTuberの基幹技術としても注目されていた。

prtimes.jp


 キズナアイ(2016年デビュー)以前には、2014年に「ライブコミュニケーティングアニメーション」と呼ばれる技術が開発され、SHOWROOM配信が実施されていた。
 「特許出願中」だというこの技術がその後どうなったのかは調べがついていないのだが、アイディア的には今の3DタイプのVTuberとほとんど変わらない。
 しかし当時の関係者の発言を辿ると、これも「アニメ」の一形態として捉えていた様子がうかがえる。余談ながら、3Dモデルのキャラクターを「アニメキャラ」と呼ぶこと自体、「3Dなのにどこがアニメキャラなんだろう」という(セルアニメが中心の)価値観を揺さぶられてしまうのだが……。

 あの「WEATHEROID TypeA Airi」が3Dモデルで動くようになったのは2013年以降だが、2014年にはヤオヨロズ制作の『みならいディーバ(※生アニメ)』の生放送(配信)が始まる。こちらもライブコミュニケーティングアニメーションと似た技術で「アニメ番組」を制作している自覚があったのだろう。

 リアルタイムアニメーションとでも呼ぶべきこれらの技術の延長で、今の3DタイプVTuberは成立しているが、一般的に彼(彼女)らが動く映像は「アニメ」と呼ばれないようになっていく。
 そこには、「アニメーション技術ではなくVR技術」であり「番組ではなくYouTuber動画」だという点を強く押し出した「バーチャルYouTuberキズナアイ」の運動が大きく働いていたと思う。

 キズナアイの偉大な仕事のひとつはこの「一般的なジャンル認識の上書き」を行った点にある、と評価してもいいのだろう。
 だが、ユークスが開発する「AR Live System」で運用されているARP22/7も含め、その基幹技術をそれ以前のリアルタイムアニメーション技術と区別することは、単純なクォリティの差を探す以外には難しいだろう。

 『バーチャルさんがみている』以前に放送されたNHKバーチャルのど自慢」(システム的には同じVirtual Castが用いられている)が、テレビ欄ではアニメ「NHKバーチャルのど自慢」と表記されていたのもそうした単純な視点によるもの、と考えられる。

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実質的な存在とアニメーションの原理

 もちろん「スーパーAI」であるキズナアイには、モーションキャプチャーやトラッキング技術について「存在しない」という概念的な違いはある。
 その逆に、電子上のプログラムだと自認する彼女に対して「身体的には3Dモデルのデータである」と言ってもメタっぽい話にはならない。
 プログラムに基づいて動く映像……、つまり「Computer animation」であるのはそのままの事実だからだ。

 一方で、「電子上の存在であること」をあまり自称しない、キズナアイ以降のVTuberたちはその身体の扱いが微妙になっていく。


 筆者がユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuberで寄稿した際にも述べたことだが、キズナアイより後に生まれたVTuberの多くは、VR技術におけるバーチャル」ではなく「実質的現実という意味でのバーチャル」をその名に冠する方向性が強まっている。

 つまり、VRではない)実質的な世界に存在する、実質的な個人、というニュアンスが新たなVTuber像を作っているのだ。

 そこで「アニメーション技術の原理」というものに立ち返ってみると、学術的には「仮現運動」という用語がしばしば登場する。

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 例えば、踏切の警報機や歩行者信号を見ると、本来「別々のもの」が点滅によって移動してるように感じる、という錯覚が起こる。
 そして「animation」という単語は、霊魂を意味するラテン語の「anima」が由来であり、「本来は動かないものに命を与えて動かす」ことをアニメーションと呼ぶ、という説明がなされる。
 仮現運動とは、その「動かないものを動かす」原理であり、「命がなく自分では動けないもの」や「コマごとには別々のもの」がその「動かないもの」に当てはまる。

 人形アニメのパペットは「瞬間瞬間は静止していて動かない」し、セルアニメのセル画は「コマごとに別々の絵」であって実際には同じ存在ではない
 だから無機物を撮影するにしても、モーターを搭載して自分で動けるようなら、それはアニメーションの撮影ではなく「特殊撮影」のようなものだと呼べるだろう。

 そう考えると、3DCGアニメというものは原理的にアニメーションなのか、という問いも生まれる。元々、「3DCGはアニメなのか」という議論は他の角度でも行われていたが*1、確かに3Dモデルは「動かすためのシステム」であり、コマごとに別物かというと「シーンを通して同一のデータ」なのだから

 ……というのはまぁ、言葉遊びに近い、詭弁になるだろう。
 ただし、『バーチャルさんはみている』におけるVTuberの収録については、こう考えることもできる。

 実質的な舞台空間で、実質的なカメラによって、実質的な演者を撮影している。

 つまり、やっていることはアニメーションの制作ではなく、実質的な実写撮影である。

「記録アニメーション」というものはない

 アニメから離れて、実写の歴史を遡ると、「記録映画」に辿り着く。
 古くは、現実の出来事を撮影してそのまま記録することが「映画」だった。


ラ・シオタ駅への列車の到着(L'arrivée d'un train en gare de La Ciotat)


 一度考えてみていただきたいが、実写に実録ドキュメンタリーとしての「記録映像」が存在していても、アニメで「記録アニメーション」は可能だろうか?
 ドキュメンタリーをアニメ映像にすることは可能だろうが、それは実写で言うなら「役者を雇った再現映像」に相当するのであって記録映像と同じではない。
 だから「実写」と「アニメ」の最大の違いとは、制作方法やその形式よりも、「アニメには記録映像がありえない」という点にあるように思う。

 映画にフィクションとしての物語が求められるようになると、やがて「舞台演劇をそのまま撮影する」という、今で言うライブの中継映像のような映画が生まれていく。
 さらにカメラアングルが採用され、舞台ではないスタジオ撮影、野外ロケが導入され、そしてカットの編集が行われ、特殊効果が追加されて今で言う「映画」に近付いていく。

 固定カメラで画面に向かって語りかけるVTuberのスタンダードなスタイルは、リアルのYouTuber動画を模したものでもある。だからVTuberの多くは、「TV的なカメラアングル」を経験していない者が多い
 対して、Virtual Castという舞台空間でアドリブを多用する『バーチャルさんはみている』の映像は、「記録映画」や「舞台をそのまま撮影した映画」が「映画」になりかける段階に近い、と言える。
 自由に振る舞うVTuberたちの動作が、うまくカメラに収まりきっていない場面がとても多いからだ。

 オムニバス番組である『バーチャルさんはみている』は、アドリブトークの強いコーナーと、台本色の強いコーナーのふたつに大きく分かれるが、特に「普段のYouTubeの動画と一番変わらない」と言われがちなのが「ゲーム部」のコーナー「VIRTUAL WARS」だろう。
 それでも、彼らの普段の動画と「VIRTUAL WARS」には演出上の違いが大きい。
 YouTube動画でのカット割りやカメラアングルは一般的なアニメの演出スタイルを意識しているが、「VIRTUAL WARS」は適宜に演者のバストアップが入る程度で、固定カメラによって全体を捉えた舞台演劇的な構図が基本になっている。

 それぞれの「演出家」の立場がどう違うのかはよくわからないが*2、『バーチャルさんはみている』の全体的な傾向として「舞台演劇的な演技」という特徴がある。
 カメラワーク自体はあるものの、映画的、テレビ的な構図にどの演者も最適化されておらず、おそらくカメラマンや演出家に相当するスタッフの「不慣れさ」にも起因した現象だと思う。

 それこそ「OA前カウントダウン・OA後アフタートーク」放送のように、Virtual Castの空間をリアルタイムで流すだけなら演者たちの動きも自然なのだが、「カッティングを中途半端にアニメに近付けよう」とした結果、演者の動作と不釣り合いな映像が出来上がっているようにも見える。

 そのためアドリブトークの強いコーナーも、台本色の強いコーナーも、「記録映画や舞台映画が今の映画に近付く中途段階のもの」を見せられている感覚がある。*3


番組枠としてのTVアニメとTVドラマ

 「NHKバーチャルのど自慢」が、特に深い意味もなく(主に技術的な理由で)「アニメ」と冠しただろう一方で、『バーチャルさんはみている』は明確に「TV番組の枠」を意識して「TVアニメ」を名乗っている。

 つまり最初のほうで述べた「アニメっぽさ」の中心としてTVアニメという名を借りているにすぎない。
 その方便を借りることで、クール単位の放送枠を取れるだけでなく、「深夜アニメ」を中心に鑑賞するアニメオタクの視野に入りやすく、OPとEDの主題歌をリリースし、そして既存のアニメシリーズと同じパッケージ商法に乗せることが容易になる。

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 つまり、メディア展開上の戦略的な意味しかそこにはなく、形式的にアニメとして扱うかどうかは「この番組がアニメなら、のど自慢もアニメだったし、VTuberの動画は2Dも含めて全部アニメだ」以上に論じられるものはない。


 ……このように、筆者が友人とのディスカッションも交えて考えていたところ、突如として発表されたのがときのそら響木アオが主演のTVドラマ四月一日さん家の』だった。


バーチャルYouTuberドラマ【四月一日さん家の】新番組告知


 「VTuber主演のドラマ」というとなかなかインパクトのある企画だが、発表当初からファンの反応を見ていると、初主演おめでとうという声と、素直な期待の声が大きいと感じる。

 「VTuberのTVアニメ化」と発表され、出演者によって「アドリブが多い」と宣伝されていた『バーチャルさんはみている』と比べるなら、企画内容が鮮明に理解しやすいのだろう。
 一般にイメージされる「アニメ」の中心には、記録アニメーションの形式が存在しない(存在しえない)のだから、「VTuber」と「アニメ化」がうまく結びつかない。

 おそらくドワンゴ側は、出演者を「台本で縛る」ことへのファンの反発を恐れていた心理があったと想像するのだが、確かに「本人らの自由さを奪うのならVTuberである意味がない」と考える理由はわかるし、当時のファンの多くも似た思考をしていたと思う。

 ただ、実質的な舞台空間で、実質的なカメラによって、実質的な演者を撮影するという意味で、VTuberの演技は完全に「バーチャルな役者」そのものなのだ。

 そこに脚本を与えるなら、それはアニメではなく「バーチャルな実写ドラマ」でしかない。
 VTuberのメディア展開として非常に正しく、VTuberの存在について忠実な企画が『四月一日さん家の』なのだ。


【祝】テレビ東京ドラマ『四月一日さん家の』出演記念!ときのそら・響木アオ生放送【亀とカブトムシもいるよ】


 また、記念放送で制作の裏側を聞いてみると、「本当に実写のドラマと同じシステムの流れで制作している」とのことで、本格的な力の入れ込み方もうかがえる。

 VTuberはロケ撮影に向いておらず、「なるべく舞台美術(CG背景のモデル)を使いまわしたい」という事情は『バーチャルさんはみている』の各コーナーが舞台演劇的なことにも通じるが、こちらはシチュエーション・コメディシットコム)」の形式に近付けるアイディアによって舞台の狭さを解決している。

 演技面の問題も、例えば演技未経験のアイドルであってもアイドルなりの魅力を引き出すドラマの方法論というものはいくらでもある。
 そこはスタッフの実力次第だし、「見た目は10代のキャラクターが、劇中で20代の大人の女性を演じる」という二重構造自体が、「初主演のVTuberが背伸びして演じる」ことと重なって見守れるようで、その若々しさが面白い中和になるのではないかと思う。
 狙った配役だとしたら賢いな、と感心してしまった点だ。*4


 以上のように、「TVアニメ」という枠を戦略的に利用した『バーチャルさんはみている』と、「TVドラマ」という形式によってバーチャルな役者に忠実な『四月一日さん家の』は、それぞれ異なる軸で評価することができると思う。

*1:議論の仕方としては「劇場アニメを映画ランキングに含めていいのか」などに近い批評的な話になるが

*2:例えば「ユニティちゃんはコロがりたい」のコーナーは制作がドワンゴではないように、「VIRTUAL WARS」もどこまでゲーム部側で演出しているのかは不明だ

*3:さらに言えば、「YouTube動画の字幕」を再現しているのか「バラティ番組のテロップ」を意識しているのか微妙なテロップの使い方など、様々なメディアのコードが入り組んで混在しており、とにかく一貫性がないのは現代的でもある

*4:ちなみに記念放送では、「YouTuberとしての体の動かし方」から「TVドラマのカメラのための体の動かし方」へと自分を合わせる際の裏話も語られていた。YouTuber的な動作をそのままにしてカメラワークと適応させない、『バーチャルさんはみている』の現場とはそこも対照的に感じられる