大規模VTuberグループとグループ内グループの認知のされ方について

 先日、統合後の「にじさんじプロジェクト」に関して、「無所属」扱いの新メンバー達をどう呼ぶか、という記事を書いた。

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 今回はそこから少し踏み込んだ内容の記事にしたいと考えているのだが、先日の記事にしても単純に「名前がないと不便だから名前を付けよう」という話のつもりではなかった


 「言葉による呼び分け」というのは、ファンにとってその集団への愛着を表すことにも繋がる。今でも「SEEDs出身者」に特有の空気や芸風を感じることがあったり、「無印1期生」に初期メンバーとしての貫禄を感じたり、などだ。

 今後、単なる「にじさんじプロジェクト」という大きなくくりだけではその愛着も表せないし、個性を発揮していくだろう新メンバー達が「ただの無所属」としか扱われないのは寂しいもので、ある種の集り(ユニット)としての力が伝えにくくなるようにも思う。


 65人を超え、これからも増え続けていくだろう巨大グループに対し、一人一人を個人認識していくのはかなり困難なはずだ。
 そのためにユニットや「グループ内グループ」というのは有効に働いていたのだが、統合発表後に「にじさんじレジスタンス」の2人が後輩を心配する相談をしていたのが思い出される。
 それ自体は「杞憂せずに楽観的に考えよう」くらいの結論に終わっていたのだが、主に

  • グループ内で直接の先輩・後輩関係がなくなるので誰を頼るのか(誰が世話を焼くのか)がわかりにくい
  • グループの枠がなく、全員が公平なスタートになる代わりに完全な実力主義個人主義)になる

……のふたつが懸念されていたと思う。蓋を開けてみると、今はどういう状態になっているのだろうか。

運営の理想とファンの消費行動のズレ

 この記事で書くことは、複雑になってきたグループの状況を自分で確認しなおすのが目的でもある。だから「これが正しい」という結論を示したいわけではない。
 とはいえ、自分も「頭のなかでまとまらなくなってきたな」と思うから書くことであって、他の人にも考える参考にはなるのではないかと思う。

 例えば、ライバー達に直接送り付けられるクレーム……というか「お悩み」として、「全員追い切れなくて睡眠時間が足りない」だとか「配信時間を被らせるな」「長時間配信するな」というファンの心情が存在する。

 自分が見ている範囲では、これらに対して「こっちは全員追ってくれとも言ってないし、全部見ろとも言ってない」という率直な返しになりやすく、それ自体は当然のアンサーだと思うのだが、「じゃあどんな見方をしたらいいのか」の解釈は様々だ。

 複数のライバーから聞くのは、「どうもいちから(※にじさんじの運営会社)はグループ全体ではなく、好みに合ったライバー個人を追ってくれればいいと思っているフシがある」という運営方針の存在である。
 その事実関係は確かめようがないものの、いちからを「芸能事務所」として見ればこれも当然のロジックではある。
 大人数のタレントを所属させるメリットと言えば「多様性のある需要をカバーできるようになること」であって、同じ方向性のタレントを集めて全員を好きになってもらうことではない。

 ただし事実として、にじさんじのファンは元々「無印一二期生」や「ゲーマーズ」「SEEDs」といったグループ内グループの関係性や総合力を愛するファンが多く、にじさんじといえばグループ全体で生まれる魅力を楽しむこと」という観念を強く持ち続けているように感じる。


【にじさんじ】Mr.Music【歌ってみた!】


【SEEDs】Connecting【歌ってみた】


【にじさんじ】Bad ∞ End ∞ Night 歌ってみた【#お屋敷組】

 そこで運営思想と消費行動のズレが生じていると思われるのだが、グループを愛するファンの間でも「プロジェクト全体を把握しきること」は不可能だと充分理解できている。
 だからこそ、大きく断片化された「グループ内グループ」の存在が強く認識されていたのだが、いきなり「個人を好きになってくれればいい」と言われても首肯しにくいのだと言えるだろう。

 これは余談だが、にじさんじ界隈でしばしば使われる用語に「箱推し」というものがあって、これはリアルの「グループアイドル」業界の用語が元*1になっている。
 本来は「メンバー個人を特別に応援するよりもグループ全体を応援している」という博愛的なニュアンスにすぎない言葉だ。だが、配信数が多いにじさんじ界隈では「全員を応援する」の意味がなぜか「全員の動画を全部追う」の意味に拡大解釈されやすく、その極端な「箱推し」思想が先ほどの「お悩み」にも繋がっている。

 アイドルヲタク*2の世界では元々、「現場ヲタ」(劇場公演やツアー、握手会などの現場に足を運ぶヲタク)と「在宅ヲタ」(テレビ番組や雑誌、CDやDVD、SNSなど自宅で消費可能なメディアで楽しむヲタク)の棲み分けが大雑把にあって、その両立は難しいことがわかりきっている。
 しかしVTuberのオタクにはまだ「何を主に見て、何に見切りをつければいいのか」という基準が文化として成り立っていない、という問題になってくるのだろう。

 結果として、「本心では全てを追いたいのだがそれはできない」というフラストレーションが溜まりやすく、同時に「何を基準にして見れば最も効率的にグループを楽しめるのか」という問いに答えが用意されていない状況が続いているのかもしれない。

ユニット売りの難しさ

 例えば、(今はアーカイブのない配信の発言だが)「運営としては箱推しよりも個人推しを大事にしたいのかな」というイメージを語っていた一人が新メンバーの郡道美玲であって、そこにライバーデビューの難しさを感じていたことがうかがえる。

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 特に、SEEDs2期生は各ライバーが散発的にデビューしていたこともあり、運営側によるプッシュが足りなかったとファンの間でも囁かれることが多い。
 そこはさすがに運営も反面教師としていたのか、2019年の1月デビュー組は2名/2名/3名に10日ずつ分けてそれぞれリレー方式に配信させるなど、ファンに認知されやすい工夫がされていた。

 数字で比べるのも酷な話なのだが、この1月組は確かにSEEDs出身者よりもチャンネル登録者数の初動が良く、最後尾の3人組を除いた4人はすでに3万人を突破する快挙を見せている。SEEDs1期生出身の卯月コウが先月3万人を突破したばかりと言えばラインがわかりやすいだろうか。

 そのデビュー前の郡道美玲の心境は色々と想像させられるものがあって、シークレット枠だった同期の夢月ロアと積極的にセットで売り出そうとする姿勢は1月組のなかでも特異に映る。

 にじさんじ運営が(仮に)考えているような「個人推し」の方針で行くなら、夢月ロアはいかにも配信トークに慣れておらず、もし単独で売り出すならば少し頼りない印象も最初はあったからだ。
 結果としてこの2人はニコイチの印象を強く与えながらお互いの魅力を認知させただけでなく、郡道先生は「コラボ◯ッチ」「なんか絡みにくい」などと呼ばれつつもSEEDs出身の男性陣と自然に絡むようになり、「個人推しさせるためのデビュー」からいち早く脱しているようにも映る。

 しかし、他の1月組のデビューを心配するような言い方をしながらも、彼女が一緒に引き上げられたのは夢月ロア1人が限界だった、とも考えられるかもしれない。それ以上は新人ライバー1人ができる領域を超えていると言えるだろうか。

 「そのために公式のMIX UP!!がある」というファンのコメントもあったのだが、彼女は「地理的にMIX UPに出られないメンバーもいる」と自分を例に挙げて反論もしている。

 かといってユニット売りだけが正解かというと「後から仲が破綻すると気まずくなるだろ」という懸念も某ライバー2人がしていたし、難しいことには変わりないのだろう。

数字による評価の定まらなさ

 また、VTuber界のある種の定説として「登録者数を伸ばすならコラボが一番」というような、コラボ企画に対する特別視がたまに見受けられる。

 これは「個人配信よりもコラボ企画のほうが面白くなる」というファンの体感にも基づいていると思われるし、実際にコラボ配信はYouTubeの同時視聴者数が伸びやすい傾向もあると思う。

 ただし登録者数をランキングで見比べてみると、その体感に反して「個人配信を着実に続けているメンバー」ほど登録者数の上位に登っているようにも見える。

 上から見れば、個人でのゲーム実況配信に強い静凛は、リアルライブでファンを動員させた樋口楓よりも上位であるし、5~6位の物述有栖鈴鹿詩子は特にコラボが少ないメンバーだった。
 SEEDs1期生トップのシスター・クレア、2期生トップの竜胆尊にしてもコラボが少ないか全くない状態でそのポジションを得ていたのだ。

 つまりデータとして見るなら、「コラボはあくまで切っ掛けで、ユーザーがチャンネル登録ボタンを押すかはその個人配信の量と質にかかっている」という現実があるようにも映る。
 「OTN組」や「にじさんじレジタンス」のホストとして認知される花畑チャイカの躍進は目立つものの、OTNの立役者であるはずの名伽尾アズマが「個人配信も頑張らなきゃ」と時折考えるのも、この構造を見越してのものだろう。

 また、こういうデータを見た上で運営は「個人推し」を重視しているのかもしれないが、現在はチャンネル登録者数が「ライバーの成果」として一律に評価され、各種のご褒美が発生するシステムにもなっている。

 一定評価を与えられるシステムに疑問を抱くのもキリがないのだが、メンバーの実力を評価する基準が少ないのは寂しいものだ。
(例えば、「キズナアイ『のとく番』」で行われたVTuberランキング企画の放送後には、登録者数ランキングと順位がそれほど一致しない点についての考察がいくらか見られた。)


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 また、以前のこの記事でも語ったように、「グループであることの総合力」を最も発揮できた集団として「にじさんじSEEDs」が存在していたと考えている。
 そこで悪く言うつもりはまったくないし、それぞれ個人配信の企画などもちゃんと面白いのだが、先述の名伽尾アズマやその同期の八朔ゆずはかつて「自分は指示待ち人間だから」と語ったこともあるように、個人配信者である以上に、まさしく「タレント」として呼び出され、適切な役を与えられることで実力や魅力が発揮されるメンバーだと思っている。
 他にも動画編集・音響などの技術力に秀でたメンバーなど、裏方として活躍するメンバーも無視はできない。

 それはたぶん多くのファンに知られている才能だと思うし、しかしそれが客観的なデータに繋がりにくいのはやはりもどかしいものだ。

 一方、無印一二期生は「コラボ以前にそれぞれが大きな山でなければ」という姿勢が(特に一期生に)強く、先駆者としてある種の理想を体現していると思う。
 その理想も間違ってはいないと思うのだが、個々人が注目されづらい後輩たちに同じ活動を求めるのも難しいだろう。

 議論がやや広がりすぎてしまったが、今の問題は「箱推し」というにじさんじ界隈で独り歩きしている概念(全員を応援する=全視聴が不可能という無理難題)と、「個人推し」という理想(ファンの応援の実態に即しておらず、個人の実力が客観的に評価されづらい環境)が、両極端に離れすぎてその中間がない、という状態から生まれていると考えてもいいだろう。

 その中間とは何か? というと各ライバーも運営も考えつづけていることなのかもしれないが、まず我々ユーザーの側からも、「箱推し」と「個人推し」の両極端で悩まされるだけではなく、積極的にグループ内の総合力、グループ内グループ(ユニット)の総合力に魅力があることをアピールし続ける意義があるのではないだろうか。

 現に、元SEEDsと元ゲーマーズの混合カルテット「ド葛本社」が非常に高い人気を確立していたりもするのだが、おそらく偶発的な、奇跡的なヒットだとみなされているところもあると思う。

 できればこうしたヒットが生まれやすく、そして各ライバーが客観的に評価されやすい世界になればいいと感じるのだが、今は拙速に結論を求めるのではなく、たぶんこういう現状なのだろうな、という認識に留めて筆を止めておきたい。

にじさんじカレンダー 2019-2020

にじさんじカレンダー 2019-2020

  • 発売日: 2019/03/27
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*1:さらに言えばAKB48などの「劇場型グループアイドル」の用語で、「劇場=ハコ」から来ていると思われる

*2:なぜかドルヲタ界では「ヲタク」表記が主なのでこう書く