なぜ女性Vtuberは同性が好きなのか

 新書タイトルのような題になってしまったが、結論から先に書くとVtuberが好きな人がVtuberになるから」という理由が考えられる。

 と、言っても細かいニュアンスがまったく伝わらないので、遠回りしながら本題に入っていきたい。

可視化されにくい女性オタクの生態

 マーケティング的に、アニメファンとVtuberファンは親和性が高いと分析されることがあるが、中でも「声優ラジオ」のリスナーという経歴を持つVtuberファンは多いのではないだろうか。

 自分はというと、90年代から女性声優がパーソナリティとなるラジオをよく聴いていた(一番古い記憶は1991年の『魔神英雄伝ワタル3』で、当時小学高学年である)。
 子ども心にだが、なんとなく「世間ではあまり知ることのできない女性像」というものがそこにはある予感がしていて、思春期を経るにつれ、単に好きというだけでなく、特殊な好奇心を抱くようにもなっていた。

 大人になった今の言葉に直せば、ジェンダー観の更新」を促してくるコンテンツとしても認識していたのだろう。
 とまぁ、そんな考え方はせずとも「なんか変わった女の人の話が聴けるな」という物珍しさで声優ラジオが好きという人はたぶん珍しくないと思うし、そうした興味の延長でネットの女性生主やVtuberを追うようになった人もいると思う。

 彼女たちが役者であり、表現者であることからして個性的な人が多いのは当然かもしれない。
 ただ、「俳優」が声優となるケースや、純粋に「声の仕事がしたい」という動機から声優となるケースも多かった昔と比べ、その次の世代からは「アニメが好きで声優に憧れるようになった」と語る傾向が徐々に増えてくる。
 しかし「アニメ好き」と言っても趣味嗜好は千差万別だろう。アニメ自体が、多くのサブジャンルを含んでいるからだ。

 アニメが好きだからと言ってオタクとはかぎらないのだが、00年代頃から一気に美少女コンテンツが増えていき、アニメ業界はその影響を強烈に受ける。
 深夜の美少女アニメと、美少女ゲームなどが密接に結びつきやすくなり、ネットのオタクコミュニティとの親和性も高くなっていく。
 (ざっくり言いすぎると余計な議論のモトになりそうだが、オタクという趣味がほぼ「二次元キャラクターが好き」という意味に置き換わっていくのもこの頃だ。)

 そして時代が進むごとに、あからさまなオタクっぽさをウリにした女性声優や、そのラジオ番組も珍しくなくなっていく。
 その実例は枚挙に暇がないが、現時点の代表例としては大地葉と篠田みなみのカレーチャーハンを真っ先に連想する。

 彼女たちは「この番組のように女性オタクのトークを丸出しにできる場はあまりない」のだと、自覚的に発信している。
 しばしば「自分たちがプロの声優であることを忘れる」とネタにすることからもそのオタクっぷりが現れているだろう。
 ただ、これは「女性オタクが可視化されていない」ことを言っているのではない

 メディアで可視化される女性オタク像は、BL趣味や「腐女子」とイコールに結び付けられやすい傾向がある。その点、大地・篠田の2人は番組中にBLの話を全くしないのだ。
 BLは単に趣味ではないのか、あえて封印しているのかは不明だが、彼女たちにとっての「他ではあまりできないオタクトークができる」喜びというのは、主に腐女子ではない女性オタクの生態について語れること」に傾けられているようである。

 腐女子語りにおいては、その対照的な存在として「夢女子」が挙げられることも多いが、ここで言われるのは夢女子のオタクとイコールでもない。
 2人とも女性向け・男性向けのコンテンツを区別なく好むタイプであり、特にそれは「女性アイドルゲーム」と「男性アイドルゲーム」を同じように愛好していることにも表れている。

 一見、大地葉のほうがキャラ愛の濃いオタクのように振る舞うのだが、篠田みなみは時折「重度のショタコンでOLのお姉さん好き」という自身の性癖を暴走させて大地を引かせることもある。
 お互いに少年声も得意な女性声優同士なこともあり、特に篠田は(事務所の先輩でもある)大地のショタ声とお姉さん声に惚れ込んでいたりする。
 「オタクを萌えさせるようなセリフを演じてみよう」的な番組内コーナーでは、率先して自分好みのお姉さんキャラを大地に演じさせようとする篠田が完全にオタクになってしまっていて、面白い。

 彼女たちが「あまり語れる場所がない」と言う話とは、まず「女性向けジャンルにおける腐女子でも夢女子でもない女性オタク語り」を指しているが、同時に「男性オタクと女性オタクが混在するジャンルにおける女性オタク語り」のことでもある。
 それは例えば、少年漫画の読者を「男性ファン」と「腐女子」に分けて認識するような安易さへの抵抗だとも言えるだろう。

 大地と篠田のケースは「女性オタクの話を、男性率の高いリスナー相手に語る」というものだから、Vtuberで言えばアマリリス組の姫野裕子や、にじさんじ公式ライバーの鈴鹿詩子の活動に近い(この2人は腐女子を兼任していることを隠していないが、特に鈴鹿詩子はBL話を好んでいるので姫野裕子の配信のほうがカレーチャーハンのテイストに似ていると思う)。

 カレーチャーハンのカオスさは珍しいとしても、男性リスナーに対してほとんど男目線でオタク話を熱く語る女性声優、というのは何人も思い当たる人がいるだろう。
 つまり、美少女コンテンツや同性の同業者の魅力について、男でも共感しやすい目線から語るという性格の人たちだ。

 インターネットに目を向ければ、男性の多い美少女ジャンルに、女性オタクが混ざっているケースは昔からいくらでも発見できる。
 自分自身、そうした女性オタクと実際に知り合うことは多かった。彼女たちは男性率の高いコミュニティに入ってくる動機を「周囲の女友達とはできないオタク話をしたかったから」と語ることがある。
 彼女たちは腐女子を兼任していることも珍しくないが、それと同じくらいか、それ以上に美少女コンテンツが好きだったりする。
 そういう女性たちは、女性中心のコミュニティではいわば「肩身の狭い」思いをすることも少なくないようだ。今ではネットで仲間(同性)と出会いやすくなったとは言え、やはり男性中心のコミュニティに単独で飛び込むという形も取りやすい。

 「美少女好きの女性オタク」はオタクの世界においてマイノリティであるだけでなく、可視化されずほとんど語られてこなかった存在でもある。
 実際にいるし知っている、という個々の体験談があっても、極端に言えば(腐女子のように)サブカル誌で特集を組まれることもない。
 いっそ「百合好き女子」としたほうが認知されやすいくらいだが、百合好きとイコールというわけでもない。異性愛をベースとした、男性向けの美少女ゲームエロゲーを好んで遊ぶ人もいるからだ。

 今のように筆者が紹介することはできても、「自分たちはこういう存在である」と語るような機会もそうそうはなく、断片的にその存在が確認されるに過ぎなかった。
 例えば、「男性向けエロ漫画が好き」という女性読者が集まって語る企画は存在していた。
 男性向けエロ漫画の業界は、少なくない女性作家が活躍するだけでなく、女性読者もついているジャンルだ。

 ただ、「男のためのもの」という偏見も根強くあるため、逆に女性が語ることの意義が強調されやすいのかもしれない。


性的指向の内面化

 時折、少女漫画家の立場から「男だけでなく女の子を可愛く描きたいこだわり」について、「女の子がお姫様に憧れたり、可愛い絵を描きたがる気持ち」の延長線で大人になったから、という理由を聞くこともある。
 これはもっともな話で、一般的な女性でも「可愛いもの」が好きだし、可愛さを体現した同性に憧れたり応援したくなるものだ。
 男子がカッコいい男に憧れ、ヒーローの絵を描きたがる気持ちと比べても、おかしな部分はどこにもない。

 ただ、「幼い頃の延長線」という説明になってしまうのは、世間的に「女子は幼い趣味から卒業するのが早い」とみなされやすいことと関係しているのだろう。
 いわゆる少女趣味は幼いものとされやすく、実際に少女漫画や女児アニメというジャンルは「消費者の進級・進学によるジャンル離れ」の危機感を男子向けよりも強く抱えやすい傾向にある。
 周囲の環境にもよるだろうが、進級に伴って少女漫画よりもジャンプを読む女友達が増えて、話題を合わせるために少女漫画を次第に読まなくなった、というのはよく聞く話だ。

 関連して言えば、女児アニメの『アイカツ!』シリーズにおいて、作中の女性アイドルがほとんど女性ファンばかりに支持されている描写に反し、現実の女性アイドル界では学生以上の女性ファンが少数派となりがちなことにも通じるだろう。

 すると、女性の美少女好きは大きく分けてふたつのルートに分岐するとも言える。

 ひとつは幼心から抱いていた少女趣味やアイドル趣味を保ち続けて大人になるケース。

 もうひとつは、少女漫画よりも少年漫画や、(女児向けや少女向けではない)アニメを好みつつ、そこに登場する美少女に惹かれ、改めて好きになるケース。

 もちろん、このふたつのケースは途中で混ざり合うこともあるし、「初めから少女趣味を経由していなかった」というケースも(年上の男性オタクが家族だった場合など特に)よく見かける。

 なお、実際には「一見して男性向けなのか女性向けなのか区別できないコンテンツ」は多い。むしろそうした作品こそが主流なのだとも言うべきだろう。
 だから語弊がないように言えば、作品自体が向いている方向などではなく、そのファンコミュニティの男女比率のみで捉えたほうが妥当である。

 現代において、コンテンツの楽しみ方というのは「作品と受け手」の一対一関係では決して完結しにくいようになっている。
 必ずファンコミュニティ特有の楽しみ方というものが「文化」となって可視化され、消費者はその文化に参加することでより深く楽しめるという構造になりやすい。
 それは「二次創作が面白い」といった補完的なレベルではなく、楽しみ方のスタイルそのものに影響する。
 ゼロ年代ごろの美少女コンテンツならば俺の嫁といった言葉(今や死語に近い)が流行り、自分が使うわけでなくても必ず目に入ってきたものだ。
 また、匿名的なインターネットの書き言葉は「男が書いたもの」と判断されやすく、(主婦板や腐女子板など、主な利用者層が明確な場でないかぎり)女性は性別不詳のユーザーとして混ざり込むことになりやすい。

 すると本人が意識してもしなくても、美少女への好意を発散する言動が「男性的な装い」を得ていく可能性も高くなる。
 これを性的指向の内面化」と呼んでもいいのだが、正確には「元々女子として女の子が好きなのか、男性的な目線を後から得たのか分かりにくくなっていく」という現象でもあると思う。


【アズールレーン】#6 これこそが、アズレン流ハーレムお正月だ!

 バーチャルYouTuberの元祖であるキズナアイからして、美少女系のゲームをプレイしながら「太もも・おっぱい」などと連呼する典型的なタイプなのだが、こういうセクハラ発言を実際に繰り返していると同性から怖がられることにもなりやすい。


【JK】宣伝をかけてガチ対決!!【夏の体力測定】#136

 そうした時の対処法が、「あえてセクハラ親父っぽく振る舞う」ことであって、「中身はおっさんだから」ということにしておけばとりあえずネタにしてもらえるという法則がある。
 こういうことは「下ネタに強い」と言われるミライアカリにも言える話だろう。


赤井はあとの朝ラジオ #8

 同じく、視聴者からおっさん化や同性へのセクハラ発言が指摘されることもある赤井はあとは、完成度の高いツンデレキャラとしても愛されているのだが、そこではなかなか難易度の高いキャラクター属性が演じられている。
 ツンデレという性格は「本人がツンデレを否定しないと成り立たない」という、自覚的に「演じる」ことが困難な属性であり、それはツンデレであることを自己主張するほどキャラ崩壊してしまっていた委員長の小芝居を見ても理解できるだろう。


第一回 ひとり属性別生放送

 ツンデレを自ら否定しながら、ライブ配信のアドリブも挟みつつ完璧に「オタクが理想とするツンデレ」をギャルゲー的な展開で演じ切る赤井はあとからは、本人もツンデレヒロインが大好きでその魅力をよく理解しているだろうことや、美少女ゲームプレイヤーの視点を完全に内面化できている様子が窺える。

 ちなみに性的指向や性癖の内面化というものは、普通に起こりうる現象だと言える。男女間だけで起こることでもない。
 特にフィクション(二次元キャラクター)に限定すれば、人は簡単に他人の性癖をトレースして自分のものにできる

 例えば「自分にロリコン趣味はない」と思っている人でも、ロリコンによる作品やロリコンの振る舞いを観察していれば「幼女のどこに魅力を感じるのか」は理解できてくるし、その言動を真似ることもできる。

 他者の趣味を理解して真似できる、というのは人間の基本的な能力だし、トレースしているだけだから「本来の性癖が上書きされる」ことはなく、単に理解できる趣味が増えるだけのことだ。
(余談だが、だからロリコン漫画などに対して言われる「ロリコンが増える」という言葉を「ロリでなければ満足できない人が増える→欲求不満から現実の性犯罪に繋がる」という短絡的な意味に置き換えてはいけないのはこうした理由もある。)

 そして男性オタクが、二次元の男の娘(女装男子) から二次元のショタ、そして二次元のイケメンへと性的な食指を伸ばしていくのもかなり簡単なことだ。
 だがそこで言葉遣いに注意してほしいのは、彼らは「ゲイに目覚めて」いるというより、「バイセクシャルに近付いて」いると言うのが正しい。当たり前なのだが、男女ともに欲情できる両性愛者の男性をゲイ(やそれに類する蔑称)と呼ぶことは通常ない。
 しかし、「同性を好きになったら同性愛者なのだ」という短絡的な思考をする人はオタク内にも多く、どうもこの手の誤りは発生しやすい傾向がある。
 これも余談ではあるが、よく言葉を選ぶ必要があると言っておきたい。

 ネットでは、手や指などの身体フェチや、音フェチなどを指して「◯◯民」などとネタにする文化もあるが、あれはある意味で「性癖の内面化」を含んでいて、本来なら全然興味のないフェチであっても「◯◯民歓喜」「ご褒美です」などと書いて歓声を上げておけば、◯◯民になったつもりでなんとなく楽しい気分に浸ることはできるのである。

 それに、男性クリエイターにしても、少女性や女性性を内面化できるのだと言っていいだろう。
 少女漫画家はともかく、女児アニメのスタッフは男性率がかなり高いのだし、男性向けエロ漫画やエロゲーにも女性ファンが付く理由というのは、男性クリエイターがそもそも少女的な感性で男女の性愛を描くこともできるからという側面を見付けられるはずだ。

 再び女性オタクに話を戻すなら、確かに男性向けのポルノを平気で楽しめる女性は存在するし、気軽に感想を聞けることもある。
 ただし、感じ方が完全に男と同じかというとそんなことはなく、例えば18禁作品の感想を聞いてみて「面白かったけど未成年への孕ませ要素だけは許せない」と結構マジなトーンで指摘されたこともあった。
 女性のほうが知識量的にも生物学的にも妊娠リスクを意識しやすい、という単純な問題だろうが、人によっては「同性だからこそ徹底的に陵辱できる」と考える女性作家もいる。
 男性的な嗜好を内面化できていたとしても、主体である女性の価値観は様々なものだ。

 逆に言えば、前述した「女性性を内面化した男性」であっても容易に実感(トレース)しがたい「女性的な感覚」というのはやはり残るものだろう。
(例えば「同性には嫌われそうなタイプの男に媚びた可愛さを追求した女の子」が好み、という趣味を女性オタクから聞くこともあるのだが、これも女性側のコミュニティを経験した女性ならではの価値観らしくもあり、単に媚び媚びの女の子が可愛い、という視点とは異なった重みがある。)

 その感性は複雑で、無意識的で言語化されていない要素もおそらく多く、単純に割り切って語ることはできない。

 異性愛をベースとした美少女コンテンツを内面化した女性の場合、性自認は女のままだが、同性への恋愛観は異性愛に基づく」というねじれを抱くことにもなりやすい。
 「中身はおっさん」と言われるタイプや、オタク趣味から転じて美少女好きになったタイプの女性が、しばしば非・同性愛的なポーズを取るのはこのねじれによる部分もあるのだろう。

 3ヶ月ほど前、声優の佐倉綾音がアニメ版『あさがおと加瀬さん。』の宣伝番組に出演した際、女性声優同士で恋愛シチュエーションのエチュード(即興劇)を行うコーナーがあったのだが、百合作品の宣伝なのにも関わらず「どっちが男役を担当するのか」という前提から始まって男女の恋愛劇を演じようとするという、誰が得するのかわからない企画にしていた。

 自他共に認める「百合漫画好き」である佐倉本人が自発的に男女のシチュエーションをセッティングしただけでなく、その場の共演者も疑問を挟まず乗っていたあたり、異性愛ベースの先入観はなかなかに根が深い。

 「ジェンダー」という言葉が「社会的性差」と訳されるように、男役/女役などのジェンダー・ロールは生得的ではなく、「後天的な環境によって身に付く性役割を意味している。
 「女(彼女)の恋人は男(彼氏)」「女を口説くのは(女が演じる場合でも)男」などのイメージは、社会的に刷り込まれるジェンダー・ロールの最たるものだろう。

 こうした齟齬への反抗として、美少女ゲームのプレイヤー・キャラクターを性別不詳、もしくは性別選択可能にしてほしい、と声を上げる女性プレイヤーも近年は増えつつあるのだが。

 少し話は変わるが、釘宮理恵が演じるようなツンデレヒロインが好きだと言う鈴鹿詩子は、身内から「女の好みが童貞」と指摘されるほど、ある意味で男以上に激しい美少女への幻想がネタになっている女性Vtuberでもある。
 そんな彼女が「自分は女の子が性的に好きなのか」と自問することになった時、「確かに好きな女性キャラができるとpixivでR-18検索してしまうことがある」などと言って悩み始めるのだが、突き詰めれば「女性では性的に興奮しないので性的な好きではないと思う」と後日結論していたあたり、ストレートの女性が童貞マインドを内面化したことによる葛藤がよく窺える。

美少女コンテンツ文化圏としてのVtuber

 Vtuberたち自身は、YouTubeのアナリティクス情報から「自分のチャンネルの女性率は1割未満」などとこぼすこともあり、その精度については不明瞭だとしても、Vtuber全般のファン層は過半数が男性」だと言い切っていいだろう。

 もちろん、割合が低かろうと女性ファンは確実に存在しているし、Twitterやリアルイベントなどでも目にすることができる。男性Vtuberの躍進がないわけでもなく、徐々に男女比率は変動しているようでもあるが。
 ただ、少数派だとしても彼女たちを惹きつけたVtuberの要素とは何だろう。

 Vtuberたちを運営する側からは「現状は美少女キャラクターに偏りすぎ」という批判的意見がよく出てくるのだが、そもそもVtuberの多くはオタク文化・アニメ文化における美少女コンテンツと近しい場所から生まれている
(ここで「アニメファンとVtuberファンは親和性が高い」という分析に触れた書き出し部分に繋がる。)

 始祖であるキズナアイも、自らのキャラクター性を「ターゲッティングの結果としてオタク文化と親和性が高くなった」と『ユリイカ』のインタビューで述べているのだが、これは彼女自身が行なっていた「情報収集の偏り」とも重なっているそうだ。言わば「本人の趣味」である。

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

ユリイカ 2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

 先述したように、キズナアイは本人自身が「美少女コンテンツ好きの女性オタク」の典型的な性格を備えている。
 つまり「男性受けしやすい美少女を好むような女性オタク」がさらに好むような美少女キャラクターこそが、元祖バーチャルYouTuberとして生まれたキズナアイなのだろう。
 キズナアイから輝夜月の登場に至るまで、初期の主だった人気Vtuberたちは、主にこの系列が続いていたと考えてもいい。

 結果として、大地葉が言うような「男女が混在するオタク文化」のコミュニティに刺さりやすいVtuberブーム」が発生したと言える。
 だが、基本的にその文化圏は女性オタクが可視化されにくく、マイノリティとなりやすい性質も引き継いでいた。

 Vtuber界全体が既存のファン層以外からファンを引き込むことに苦心しているのは、元々オタク層にだけ届きやすい性質も併せ持つからだと思われる。
 現代のインターネットは、情報がコミュニティごとに断絶しやすく、文化圏の外には広がりにくい構造をしているせいでもあるだろう。

 さらに2018年前半はVtuberの大増加が続くのだが、そこでVtuberに「なろうとした」女性たちとはどういう人たちだったろうか。

 はっきり言えそうなのは、Vtuberを見ることで好きになって、Vtuberを目指した人が主流だろうということだ。
 企業でもオーディション形式の募集を通してデビューさせることが多く、「自発的にデビューへ踏み出す」という点では個人勢の動機と変わらない。

 そもそもVtuberに遭遇しやすい文化圏にいた女性でなければ、Vtuberになる動機も生まれようがない

 「企業が声優をスカウトして」というような、自発的でないケースは一部の噂レベルにしか見かけないし、大抵は前述したオタク文化圏の内部から出現していると考えられる。
 その点が、デビューまでの過程が様々にありうる声優業界との差として挙げることができるだろう。

 つまり従来のオタクコミュニティでは認知されずらい、マイノリティだったタイプの女性たちが、Vtuberとしてはその大多数を占めているという逆転現象が言えるのだ。

 やや強引な見立てにも思われるかもしれないが、オタク文化の歴史においても他に例を見ない、特筆できる状況が生まれていると考えても構わないような気はしている。

女性間の愛情とシスターフッド

 以上では、主に少女漫画や女児アニメ、二次元オタク文化などの「趣味」に由来する影響について触れてきたが、少し視点を一般論に変えてみたい。

 まず、美少女好きのオタクだとしても「元々女子として女の子が好きなのか、男性的な目線を後から得たのか分かりにくくなる」と先述したように、女の子が好きなこと自体がオタクっぽいわけでもないし、目線が男性的だとも言い切れないし、さらに同性愛的だともかぎらない。
 社会的な影響によって視点が色々と混ざり合ってしまうことがある、というだけだ。

 何度も言及してきたキズナアイにしても、リアルアイドルである「欅坂46」のファンという側面があり、それはそれで「女性アイドル好き女性」らしいファン心理を感じられると思う。

 元々、日本は海外に比べて女性同士の関係が密接になりやすく、スキンシップも豊富だと指摘されることがある。
 つまり「男性同士のスキンシップは女性同士よりも抑圧される傾向にある」というのは多くの日本人が感じやすいことだと思うが、外国ではそのイメージが逆になるケースもあるようだ。
 女同士で腕を組んで歩いたり、「女子会」という同性だけでつるむ文化も、日本独特なものとして受け取られることが多いかもしれない。

 また、以前のエントリでも触れたことだが、女子同士の友情や絆は「恋愛関係の比喩」で表現されることがそう珍しくないとも言える。

d.hatena.ne.jp

 日本でも「女の友情は怖い」とよく言われるものだが、リアルな話として、トラブルの原因は「グループ外の友達と仲良くする」とか「一番の親友の座を奪い合う」とか、むしろ激しい嫉妬の感情が発端になりやすいと聞くこともある。

 だから女子間の絆が表面的で脆いというよりも、親密すぎて苛烈になりやすいという側面も発見できるのだと思う。

 海外のフェミニズム運動では「シスターフッド」という言葉が作られもしたが、これは「同性愛に限定しない女性間の愛情」を姉妹間の愛情に喩えたものだった。

 『なぜ女は女が嫌いなのか』というジェンダー研究の書籍があったように、フェミニズムの実践でまず解決しなければならないのは女同士の争いである、と考える女性たちもいる。

なぜ女は女が嫌いなのか―もっと上手につきあう知恵

なぜ女は女が嫌いなのか―もっと上手につきあう知恵

 ある意味、女子間の友情の怖さを知っている人ほど、その反動としてシスターフッドを体現する方向に進みやすいかもしれない。

 Vtuberでは、にじさんじ公式ライバーの森中花咲からなんとなくそれを感じ取れる気がしている。
 幼馴染だという同僚の勇気ちひろを一番の親友としつつ、お互い他のメンバーと仲良くすることに嫉妬も感じながら、姉妹のような連帯の輪を広げることを積極的に目指して活動する姿勢を見せている。

 例えば月ノ美兎以外とコラボしたことがなく、(二期生としては独自路線を進んでいたイメージのある)鈴鹿詩子を同期として初めてコラボに誘ったのが彼女であり、相手を楽しませる企画を用意して歓待しただけでなく、下の名前で呼び合う友達関係を一晩で築きもしていた。


母性よくばりセット~うたかざコラボ配信~

 彼女は異性愛をベースとしたラブコメやハーレムもの、逆ハーレムものを愛好する趣味の持ち主なのだが、それ以上に女子会的なノリを大切にしているあたり、にじさんじ内でも特に女子らしい女子だと思う。
(余談だが、男女関係について「男のほうが強くてリードできないとダメ」と語る保守的な恋愛観を内面化しながら、その要求が「お説教」の形を取っていたり、時には女性を優先しろというレディ・ファーストを意味していそうなところも面白い。)

 また、その森中花咲が憧れるメンバーでもあるが、樋口楓も基本的にはこのシスターフッド的な感性が非常に強い女性だと感じている。
 本人が元々家族思い(弟妹持ちの長女)であることも合わさってか、グループをまるで家族のように捉え、特に年下のメンバーに対してお姉さん的に振舞って慕われているし、逆に年上のお姉さんタイプの女性に対しては、同期の静凛を尊敬し、外部も含めてよく声を掛けようとする姿を見ることができる。

 彼女はこれまで触れてきたような女性オタクのタイプとは逆に、男主人公のアニメよりも女の子の多いアニメばかりを中心に見続けてきたそうで、男目線を内面化しないまま女性間の連帯を重要視してきたタイプのようでもある。
 Vtuber全体を見回してみるなら、また認知されにくいタイプの女性像を表しているのかもしれない。



 思うに、(知名度では圧倒的に女性側が上回る)Vtuberの世界とは、ある種の価値観を共有しうる女性たちが中心(主役)となって作り上げようとしている、新しい関係の形のようにも感じられる。

 もちろん女性が主役となって連帯し、牽引してきたジャンルというだけなら数多くあるはずだが、ここまで「同性のキャラクターが好き」であり「互いに好かれうる女性キャラクター」でもある、という人たちが多数を占める世界というのは、やはり特筆すべき状況なのではないだろうか。
 それに、(企業の経営者は男性が多勢とはいえ)彼女たちがセルフプロデュース型の自由な活動で結び付いていることも、従来的な女性アイドルの世界との大きな違いだろう。

 だからどうだ、と言われればそれまでなのだが、自分は単純に「百合カップリング」(特別な対象への強い愛情。それが確かに存在することは否定しない)だけを注目するようなオタクであるよりは、まだ語られることの少ない女性コミュニティの在り方も含めて記憶しておきたいと思うのだ。

 こうしたタイトルの記事を書きながら、「百合」というフレーズをVtuberに対して一度も用いなかったのは、そんな意図もある。